妊娠、出産、産後の実体験
川上さんの、妊娠から産後1年間までの実体験です。
あけすけに語ってる感じが伝わり、好感が持てます。
例えば、妊娠中の性交について書かれてます。
川上さんの産院で、妊娠中の性交は「ぜったいにダメ派」だったようで、
その瞬間から、われわれの性生活は、完全に、完璧に、凍結されたのだった。
川上さんの夫は、「ぜったいにダメ派」を忠実に守りました。
それが川上さんをイラつかせます。
断るのは必ずやわたしでなければならない、これはそういう話なのだ。この状態&シチュエーションで、「ダメダメ〜」と拒否するのは、わたししかありえないのだ!
川上さんは、夫側で性交がないこととされてるのが、腹立たしかったようです。
そこまで夫婦関係をあけすけに書いてるのが面白かったし、驚きました。
妊娠による乳首の色の話も、面白かったです。
ハードな音楽ががんがん鳴って、ボンデージファッションに開眼して全身隙なくぴっちぴちのきっちきちの黒、真っ黒、めっさ黒、ぜんぶ黒みたいなそんなあんばいになっており、心なしかちょっと攻撃的な感じすらあって
「電源を落としてるときの液晶テレビの黒」だそうです。
笑いだけでなく、感動ももたらします。
生まれることについて。
生まれてこなければ、悲しいもうれしいもないのだから、だったら生まれてこなければ、なにもかもが元からないのだから、そっちのほうがいいのじゃないか
この考え、わかります。
生まれてこなければ何もないし、死んでしまえば何もなくなる。
そっちの方が良いんじゃないかと、思ってしまうことがあります。
生まれてこなければいいんじゃないかと思ってきた川上さんが、子どもを生みます。
我が子を見つめて、間違ったことや、取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと、川上さんは思います。
それでも、
本当の気持ちがひとつあって、それは、わたしはきみに会えて本当にうれしい、ということだった。
子どもに「どうして生んだの」と言われたときの返しで、「ものすごく会いたかったからです、すみません」と謝るというのは、秀逸だと思いました。
また、作家の大変さも伝わりました。
文庫版のあとがきで、川上さんが反省してる箇所があります。
本文中の、「誰にみつめられなくとも、すべての赤ん坊の目は、このように空を映していたときがあったのだ」という記述についてです。
空を目に映さないままであった赤ちゃんがいて、本当にいろいろな赤ちゃんがいて、なのに赤ん坊を生んだばかりのわたしは生の一回性、目の前にあるものに目がくらみ、その当然のことをきちんと想像することができていませんでした。
「すべての赤ん坊の目」と表現したことが、空を映すことのない赤ん坊(とその親族、関係者)への配慮を欠いたとして、悲しみや怒りを生じさせたのでしょう。
私は本文を読んでたときには気づきませんでした。
「すべての」って書いてるけど、目の見えない赤ん坊だっているのに、とは思いませんでした。
自分が文章を書くときにも注意しなければいけないと、感じました。
自分のことをすべてのこととして表現すると、すべてから漏れた人たちの反感を買ってしまう。反感というか、悲しい思いもさせてしまいます。
私は気づきませんでしたが、目の見えない当事者や関係者でなくとも、勘のいい人は気づくでしょう。
自分のことを全体に当てはめる際には、本当にそれでいいのかと注意する必要があると、気づかされました。