中年クライシスなのか
「パーティー」が終わって、「中年」が始まる。
「パーティー」とは、シェアハウスを運営して解散するまでのことで、
「中年」とは、シェアハウスを解散して一人暮らしを始めたことでしょう。
「中年」は、年齢よりも精神的なものだと思います。
phaさんは、
- 京都大学卒業
- 就職するが、28歳で退職し上京
- 東京でシェアハウス運営
- 40歳を期にシェアハウスを解散し、一人暮らし
- 執筆時43歳、書店でバイト
肩書きは、書店員であり作家です。
自分は「pha」という人間かどうかもよくわからない名前で、何をやっているのかよくわからない生活を続けているのだから、みんなももっとわけのわからない生活をしていて欲しかった。
名前はともかく、本書を読んで、phaさんが何をやってるかわからないような生活をしているようには思えませんでした。
確かに、平日の昼間に街で見かけたら、何をしてるんだろうと思うかもしれません。
ですが、phaさんだとわかったら、「phaさんだ!」と驚くだけで、わけのわからない生活を送ってる人という先入観はなくなるでしょう。
つまり、普通に作家をしてる人という認識です(執筆依頼は減ってるようですが著作は多数あります)。
本書は、若い頃は一人でいたかった人間が、40代半ばになって、若い頃の感覚とは違うかもしれないと、考え方を変え始めた(けど結局何もしない)という作品です。
ひとりのほうがいいものを作れる。もっと、ひとりになりたい、と思って、近くにいるいろんな人を遠ざけてきたのが自分の人生だった。
創作を楽しめているときはそれでもよかった。しかしクリエイティビティが去ってしまうと、残ったのは単なる孤独だった。
創作には時間や集中力を要するので、一人でいる時間を長く取れないと難しいのはわかります。
創作のために時間を確保し、一人でいることも構わなかったのに、創作欲を失ったときに残るのが孤独だとしたら、悲しいことです。
ひらめきがあまり起きなくなり、ひとりでいる時間が楽しくなくなって、世の中の人がなぜパートナーや家族を作るかが少しわかった気がした。
ひとりでいる時間が楽しくないなら、パートナーや家族を作ってみればいいのに、と思います。
40代半ばでは、簡単ではないかもしれませんが、試してみる価値はあるでしょう。
やらないとしたら、phaさんが、商売やファッションとして、孤独を演じてる可能性があることです(それが悪いとは思いません)。
- 40代で孤独を感じている自分でいることで、同じように孤独を感じている人からの共感を得たいのではないか
- 孤独とは言いつつも、結局は一人が楽でいいのではないか
「世の中の人がなぜパートナーや家族を作るかが少しわかった気がした」とは書いてますが、「少しわかった気がした」だけで、自分がそうなりたいとは書いていません。
結局は一人が良いのかもしれません。
すべてのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。
(中略)今の生活に執着ができて初めて、世の中の多くの人々は、こんな恐怖を抱えながら生きていたのか、と思った。みんな将来に不安があるから、その不安を乗り越えるために、家族を作ったり貯金をしたり保険に入ったりという、一見つまらないことをしていたのか。
「家族を作ったり貯金をしたり保険に入ったり」してる人が、将来の不安があって、不安を乗り越えるためなのかは、わかりません。みんながそうではないでしょう。
phaさんに将来の不安があるなら、婚活を始めることにしましたとか、それでも一人が楽でいいのでパートナーや家族を作ることはありませんとか、踏み込んで欲しかったです。
どっちつかずの書き方で終わってる感じがしました。
孤独や不安だと言っても、結局一人が良いんだろうなと、推察はできます。
それにphaさんは、パートナーや家族がいなくても、一人ではないように感じます。
執筆を依頼する編集者もいるし、ファンもいます。スウィングに近いと自己開示してます(スウィングとは性的な関係は持つけれど特別に親密な関係を持たない人のことのようです)。
仕事がなく、ファンもいない、人間関係がほとんどない40代半ばの人には、参考にならない気がします。phaさんの孤独とは別次元だと思います。
むしろ、仕事や家庭があって、創作を目指したけど挫折したような人に、反面教師として刺さる内容な気がします。
創作を重視して孤独にならなくて良かったんだと、自己肯定感を多少回復する要素はあります。
就職して大学職員をやっていたとき、学生の成績表の管理なんて何も面白くなかったけど、自分以外のみんなは淡々とこなしていた。好きとか嫌いとかではなく、求められることをやるのが普通の仕事なのだ。
でも自分にはそういうのがうまくできなかった。自分の興味のあること以外ができないからこんなよくわからない人生になって、高円寺によくいるずっと好きなことだけをやってきてそうな職業不詳の胡散臭いおっさんたちに憧れてしまうのだろう。
私も今の仕事に興味関心はありませんが、求められてることを淡々とこなしてる気がします。
phaさんは興味があること以外できなかったと言ってますが(表面上は淡々とこなしてたような気がします)、私は仕事に面白みがなくても、なんとかやれてしまってます。
なんとかやれてしまってるから、よくわからない人生にはならずに済んでます。それが良かったのか悪かったのか。
少なくとも、職業不詳の胡散臭いおっさんたちには憧れません。
文章を書いて生活してるphaさんに憧れはありますが、孤独や不安を抱えながらも(それが本当だとしたら)、一人でいる勇気は私にはないと思いました。