馴染めてない人たち
まず一文目が良いです。
今日こそ三人まとめて往復ビンタをしてやろうと堅く心に決めて会社に行った。
「三人まとめて」、「往復」ビンタに、私は引きつけられました。
- 三人まとめてってどういうことだろう
- ただのビンタではなく往復ビンタなのか(息巻いてるけど結局ビンタできないんだろうな)
主人公は、20代中盤の会社員の女性です。
同僚の三人は、会社を休みがちです。
そのうち一人は、主人公の入社時に指導してくれた女性の先輩(下村さん)です。
主人公は、三人分の仕事をこなします。
三人は、恋愛の三角関係の渦中でした。
主人公の指導員だった下村さんと同僚は、同棲し、婚約してました。
ですが、下村さんと同棲してた彼が、新たに会社に入った女性と一緒に住むようになり、下村さんは一人残されました。
下村さんは可哀そうだ。
と思わなくもなかったが、勝手に起こった恋愛問題に巻き込まれて、そのフォローを自分がするのは全く納得がいかなかった。
職場の恋愛沙汰で割を食う主人公に、同情します。
主人公は、三人をビンタできません(当然ですが)。
主人公は、下村さんと行動を共にすることが多くなります。
仕事はしない下村さんですが、主人公と話すことで人となりがわかるようになります。
- 婚約相手に逃げられる
- その前に付き合ってた彼氏は、空港で別れたきり失踪した
下村さんはやせ衰えていくことが生命の輝きであるかのように、苦しんでいるんだか楽しんでいるんだかよく分からないダンスを踊っているようにも見えた。
タイトルの「ダンス」は、実際に踊ってる人ではなく、踊ったように生きる下村さんのことだと思ってました。
しかし選評を読んで、主人公にも当てはまっているのかと、考えを改めました。
小山田浩子さんの選評です。
「私」も「下村さん」も世界や社会に馴染めていなくて、その馴染めなさもそれぞれ違っていて、それが人生のあるタイミングで重なり合い関わり合ってダンスになる
確かに、主人公の「私」も、会社に馴染めてない感じがあります。
係長からは、「仕事に慣れるより、職場に馴染むことを目標に頑張って」と言われるほどです。
職場の三角関係について、言われるまで主人公は気づきませんでした。
馴染めてないようでも、下村さんといる主人公は、いきいきしてるように見えます。
主人公は下村さんに、
- 私がビンタしたいのは下村さんですから
- ずっとムカついているんです。下村さんの尻拭いばっかりさせられて
- 婚活パーティ行ってんじゃないよ。仕事しに来いよ!
など、先輩でもお構いなしで、あけっぴろげに言います。
他の人には、こんな大胆な発言はしません。
例えば、課長に対して。
課長が、電池の切れた壁掛け時計を外そうとしてるとき、主人公は自分がやりますよと、声を掛けます。
主人公に課長は、「気が利かないな。俺はこの時計を一番見るんだよ」と言います。
主人公は、一番に気が付いたのは自分なのに怒られるのかと、納得できない気持ちになるだけで、課長に何も言いません(当然かもしれませんが)。
時計の電池替えのお礼を言ってくれた先輩に、愚痴の一つでも言うのかと思いましたが、主人公は愚痴りません。
下村さんに対してだけは、気持ちを素直に出してるよう感じます。
それが「ダンス」になってるということかと、小山田さんの選評を読んで驚きました。
よくできてます。下村さんという人間が生きてるように感じます。
また、セリフも良いです。
おんなじ話何回もする人っていいよね
実際いたら面倒でしょうが、いいと思わせます。
みんなが流しているようなことに、ひとつひとつ引っかかったり、躓いたりして、考えているところ。何というかちゃんと生きているって感じがするよ
このセリフについておそらく、小山田さんの選評では、「説明になってしまっていて、そこは書かなくても読者には多分ちゃんと伝わる」とありましたが、私はあって良かったと思いました。
ここで物語が終わるんだろうなと思ったところから、15年後の主人公が描かれます。
主人公は40歳になってます。25歳から40歳までは飛ばされます。
40歳になった主人公が、下村さんに偶然出会います。
15年ぶりなのに、「下村さん」という名前が、主人公の口から咄嗟に出ることに、最初は違和感がありました(下村さんからは主人公の名前は出てきません。あなたと呼ばれます)。
しかし、主人公の結婚した相手が、下村さんの共通の知人であることから、下村さんの話題をたびたび話してたのかもしれないと考えると、あり得なくはないと思いました。
それほど下村さんは、強烈なインパクトを与える人です。
下村さんから「どうだった。あなたの三十代は?」と聞かれた主人公は、
普通の人が高校生くらいで経験することを味わわせてもらったかもしれません
と答えます。
下村さんは、
いい三十代だったんだね
と返します。
主人公に訝しんだり質問したりするのではなく、「いい三十代だったんだね」と返せる下村さんが素敵でした。