他人の家の風呂を借りる老夫婦
感想①はこちらです。
他人の家の風呂を借りる旅をしてる老夫婦の話が、ちょっとしたエピソードで出てきます。
本書を読んだ後にも、どこか頭に残ってました。
不動産屋で働く青年の、子どもの頃に起きた話です。
小学生の彼が家で一人にいると、老夫婦が家を訪問します。
自分たちは他人様の家のお風呂を借りることが趣味で、そのための旅をしている
とのことです。
泥棒みたいな感じではなく、学校の校長のおじいちゃんと、ピアノの先生みたいなおばあちゃんだったと、青年は言います。
風呂を貸したら、家に帰ってきた母親に怒られたそうです。
その後、老夫婦から丁寧なお礼状と高い肉が贈られてきました。
母親はめちゃめちゃ怒りながら、めちゃめちゃその肉を食べていましたよ
と、青年は言います。
なんで私がこれに引っかかってたかというと、
- そんなことあるかな、でもなくはないな、いやないだろうという微妙なライン
- 今まで人に迷惑を掛けてこなかったように見える老夫婦が、少し迷惑をかけている微妙なライン
- 自分だったらするかな、しないな、では訪問されたらどうかなと考えさせる内容
だからだと思います。
贅沢な旅は全部して、今はそういうことをしている
と、老夫婦は説明したそうです。
青年から老夫婦の話を聞いた主人公は、想像します。
残りの人生、ちょっとずつ他人に迷惑をかけて生きていこうとふたりは話し合ったのではないかなと。他人の家で急にお風呂を借りるなんて、迷惑だし、入り込み過ぎだし、めんどくさいし、図々しいんだ。でも、ちょっとずつそうやって、誰かの世界に入り込んで、迷惑かけて、生きていっていいんじゃないか。
主人公は、同僚の家の風呂に浸ってました。
お風呂から出た主人公に、同僚は、
いいお風呂だったでしょ
と言います。
同僚は、主人公にお風呂を貸すことが、迷惑ではないでしょう。入り込み過ぎでもめんどくさくも図々しくもないでしょう。
でも、他人だったら違います。
だからもし、主人公と同僚が15年ぶりに再会したときに、お風呂の話が出たらどうなるだろうと、想像しました。
かつての同僚に風呂を貸す(借りる)のは、迷惑なのか迷惑でないのか。たぶん迷惑でしょう。
同僚と働いてたときは、同僚の分の仕事もやってた主人公です。
15年ぶりで、急にお風呂を貸してくださいはおかしいですので、手順を踏まえることが必要です。
同僚は、お風呂にこだわってたようです。
15年前、婚約破棄された同僚は、引っ越しを検討してましたが、結局お風呂が気に入ってるとの理由で、引っ越しませんでした。
15年経ったら、引っ越してるかもしれません。
「今はどこに住んでるんですか」という話の流れで、同僚が「前よりもいいお風呂がある部屋なのよ」と言うのは自然です。
風呂きっかけで、主人公が、他人の家の風呂を借りる老夫婦の話を思い出し、同僚と昔話をします(同僚もこのエピソードは知ってるので)。
そこで、主人公が、「またお風呂借りても良いですか」と言ったら、綺麗にオチます(創作色が強い気もしますが)。
オチるだけでなく、主人公の成長(かつての同僚という距離ができた相手に、少しくらい迷惑をかけてもいい)も、感じられます。
本作では15年後に跳躍して描かれてますが、主人公が同僚と会って、何か展開を感じさせるものはありません(悪いわけではありませんが)。
本作のキーワードとも言える、風呂がラストに入り込んで欲しかったと思いました。