誰にも必要とされてないのに書くなら
私の人生の目標に、「本を書く」があります。
自費出版ではなく商業出版です。
公募の賞に出したことはありますが、受賞には程遠い状況でした。
本書のタイトル「本を書く」は、本を書きたい私に合う内容の本だと思って、手に取りました。
同じような感じで、本書を手に取ろうと思った人は、注意してほしいです。
訳者のあとがきに、
これは、本を書くことの手ほどきの本ではない。そもそも本を書くとはどういうことか、ディラードが自分の考えを書いたものだ。
とあります。本書を読んでも、本の書き方がわかるわけではありません。
訳者の言うとおり、本を書くとはどういうことか、著者の考えが書かれてます。それも本書の一部です。
本を書くことの考えだけにとらわれない、著者のエッセイのようです。
それもそのはず、原著のタイトルは、「The Writing Life」、書く人生です。
タイトルに「Book」は入ってません。
著者の執筆環境や、日常の出来事も書かれてます。
それでも本を書くことについて、学んだことはあります。
あなたが精魂込めて書く文章は、それ自体、なんの必要性も願望もない。(中略)世の中のほうも、だれもあなたの文章を必要とはしてはいないし、だれだって靴のほうをもっと必要としている。世の中にはすでに、価値のある、精神を高め人を感動させる、知性にあふれた力強い文章がたくさんある。
私も、本より靴の方を必要としてます。
本は買わなくとも、靴は買います。
世の中には、すでに優れた作品があります。
それなのに、わざわざ私が書く必要はありません。
それでも書きたい。どうしてなのか。
人の役に立ちたいなら、お金をもらえる仕事をした方が、人の役に立ってるでしょう。
どうして書きたいのかと言われたら、書くのが好きだからだと言えます。
報酬がなくてもいいのかと言われたら、趣味の範囲ならイエスですが、それを仕事としてやるならノーです。
書きたいと思える文章を書いて、生活ができるくらい稼げれば、それに越したことはありません。
ですが難しい。
だからこうして、ここで書きたい思いを吐き出してます。
書いた文章を商品にするには、人に求められる必要があります。
どういうものを書けばいいのだろうか。
人間の特別な性癖――ものごとに夢中になること――について書かれたものが、なぜないのだろう。他の誰からも理解されない自分だけが夢中になるものについて書かれたものが。その答えは、それこそまさに、あなたが書くテーマだからだ。なぜかはわからないが、あなたが興味をそそられるものがある。書物で読んだことがないので、説明するのがむずかしい、と、そこから始めるのだ。あなたはそのことに、あなた自身の驚きに、声を与えるために、存在するのだ。
書くべきものは、
- 他の誰からも理解されない、自分だけが夢中になるもの
- なぜかははわからないが、興味をそそられるもの
- 書物で読んだことがなく、説明が難しいもの
に該当するもので、特に驚いたことについて、文章にするのがいいと思いました。
では、私に当てはまるものがあるだろうか。
私は、自分の境遇を書き記すことに、興味があります。
本書を読んで、小説を書かなくなった理由が、わかった気がしました。
創作よりも、現実に起きたことについて、考えたり書いたりすることが多くなりました。
読書感想文では、本を読んで私にもたらした現実を、書いてます。
問題は、一般人である私が、現実に起きたことを書いても、需要がない点です。
そこをクリアしないと、本を書く目標は、達成できないでしょう。
- 自分の周りで起きた「特異」なこと
- 特異なことに対する「独自」の分析
他にはない視点や思考を組み込まなければ、本として出版されることはないでしょう。
逆に言えば、上記を踏まえて公募の賞に出せば、出版の可能性はあると考えます。
絵を描くのは文章を書くのとちがって、それをしているあいだ、行っている者の感覚を楽しませる。さらに、それをしているときのほうが、それが完成してからよりも楽しい。
著者は、文章を書くより絵を描く方が、好きなようです。
それどころか、文章を書くのが苦痛のようにも感じられます。
私にとっては、文章を書いてる間も楽しいです。
それは、少しだけ救いになるような気がしました。