著者の最高傑作
掲載されている文學界の表紙に、
4人の若者のかけがえのない生の輝きをとらえた、著者の最高傑作!
と書かれています。
出版社側が最高傑作と謳った作品で、最高傑作だった試しがあるでしょうか。
ですが、心配無用です。
乗代さんの小説はほぼ読んでいますが、本作は最高傑作です。
タイトルにある「誠」は、主人公の名前と同じです。
主人公は高校2年生で、修学旅行で東京へ行きます。
3泊4日の修学旅行中の1日は、班での自由行動です。
自由行動の日、主人公は、日野市に住む叔父さんを訪れます。
って言ってしまえば簡単なのですが、そんな簡単にはいきません。
まず、修学旅行の同じ班のメンバーに、仲の良い友達がいません(主人公に友達といえる人はいません)。
- 毎日薬の服用が必要で、吃音持ちの「松」
- 特待生からの解除を怖れ、問題を起こさないことを重視する「蔵並」
- この班なのが不思議なくらい、穏やかで明るい、サッカー部の「大日向」
大日向を除けば、どう見たってハズレ男子の寄せ集め班
と、主人公は書きます。
書きます、というのは、本作は修学旅行から帰ってきた主人公が書いている内容だからです。
文學界の表紙に書かれている「4人の若者のかけがえのない生の輝きをとらえた」の4人は、主人公、松、蔵並、大日向のことです。
「かけがえのない生の輝き」という表現は、くさいなあって感じです。
4人は、修学旅行の自由行動の1日を、主人公の叔父に会いに行くために使います。
なぜ3人は、修学旅行の貴重な一日を、主人公の私情に付き合ったのでしょうか。
4人は仲の良い友達ではありません。
だからこそ、主人公は一人で日野に行くつもりでした。
しかし松が、自分も行きたいと希望します。
松がいなければ、4人での行動はなかったでしょう。
松は、お前と一緒に溺れてやろうと思ってる
と、蔵並は言います。
これは比喩で、修学旅行中、一人で叔父に会いに行く主人公が、溺れてる人間です。
そんな溺れてる主人公を、放置するのではなく、かといって助けることもできない人間が、松です。
蔵並は言います。
お前らだけが一緒に溺れたら、お前らだけが日野に来て何にもならなかったら、俺にはわからないままだ。でも、溺れてる奴と一緒に溺れようとしている奴、まとめて助けようとする人間がいたら、わかるかもしれない
まとめて助けようとする人間が、蔵並です。
4人の旅で、関係性が変わってきます。
遠慮なくなってきたな、お前ら
と、大日向が言います。
主人公は、
それはお前がいい奴だからだ、とは言わなかった。
「お前がいい奴だから」と言わないのが、良いです。
「いい奴だから」と言ってしまうと、嘘くさくなります。
嘘くさくない関係性の変化が、描かれています。
ただのクラスメイトが、友達になりかける、みたいな感じです。
それを「かけがえのない生の輝き」と言ってしまうと、嘘くさく感じてしまいます。
「最高傑作」と言ってしまうと、本当かと疑いたくなります。
そういうことは言わなくていいのかもしれません。
感想②はこちらです。