巻末解説の感想
ミステリ作品の感想を書くのは難しいです。
ネタバレに配慮する必要があるからです。
犯人の言及は避けるとして、
- 犯人が意外だった
- 犯人が思ったとおりだった
という感想は、ネタバレにはならないにしても、ヒントにはなり得ます。
なので感想は書かないほうがいいと思いましたが、巻末の解説を読んで考え直しました。
瀬名秀明さんの解説は、ネタバレを絶妙に回避しつつ、作品の魅力を語ってました。
解説の感想を書けばいいと思いました。
私たちは小説を読むとき、無意識のうちにわかりやすい理屈を求めようとする。(中略)殺人者が登場する物語を読むとき、その者が過去に残酷な仕打ちを受けたために殺人の心が芽生えたなどという「お約束」を無意識のうちに求めてしまう。
わかります。
殺人があったら、その動機を必要とします。
それも、納得する動機を求めてしまいます。
森博嗣の作品はこのような「お約束」に決して囚われることがない。
本作においても該当します。
犯人の動機が、過去の出来事(トラウマ)に強く起因してるとは言いがたいです。
犯人が犯行の動機を独白し、読者が「それなら仕方ないか」と、ある種の納得を得るような展開ではありません。
「すべてがFになる」というタイトルは、聞いたことがありましたが、読むのは初めてでした。
主人公は、大学の助教授です。
大学の助教授が、ゼミ合宿で孤島のキャンプ場に来ます。
孤島には研究所があり、研究所内で死体が発見されました。
死体発見現場に居合わせた主人公が、事件の解決に尽力します。
「すべてがFになる」とはどういうことか。
- すべてとは何か
- Fとは何か
最初はわかりません。
謎が次のページをめくらせます。
冒頭は若干の読みづらさはありますが、その後の文章は読みやすく、一気読みできました。
読み切った後に、冒頭を再度読むと、最初の読みにくさは感じられませんでした。
犯人が誰かの言及を避けるなら、「すべてがFになる」の意味の言及も避けた方が良さそうです。
瀬名さんの解説では、「役に立つ・立たない」に言及しています。
研究は役に立たない。何も生産しない。それは小説も同じである。小説は役に立たない。何も生み出さない。だがどちらもそれで未来のことを考えることができる。そしてなにより、どちらも楽しい。
これは、作中にある、登場人物のセリフ(以下)を受けての言葉です。
僕ら研究者は、何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年さきのことを考えられるのは、僕らだけなんだよ。
百年先、二百年先を考えられるのは研究者だけ。
仮にそうなら、研究者は、現在は何も生産していなく、現在の役に立ってないかもしれませんが、未来の役には立っていると言えるでしょう。
小説も、作家の頭の中にあるうちは役に立ってないかもしれませんが、出版されたら、読み手に影響を与えます。
であるなら、未来に影響を与えなかった研究や、誰にも読まれなかった小説は、何にも役に立たず、生産にも値しないのでしょうか。
そうだと思いました。
影響を与えなかった研究の裏に、影響を与えた研究があり、誰にも読まれなかった小説の裏に、多くの人に読まれた小説があるでしょう。
影響を与えなかった研究や読まれなかった小説は、ひっそりと消えてなくなります。携わる人間は淘汰されるでしょう。
だから、役に立たなくてもいいんだと言い切ることは、私にはできません。