わからないことを読む方法
「読み」には2種類あると、著者は言います。
未知を読むベータ―読みと既知を読むアルファ読み
- ベータ―読み:わからないことを読む
- アルファ読み:わかることを読む
既知を読んで、ものが読めると思っているけれども、それは未知を読むための準備段階であって本当に読んでいるとは言えない。
知ってることを読んでるだけでは、「本当に読んでいるとは言えない」ということでしょう。
「本当に読んでいるとは」、知らないことを読むこと(ベーター読み)だと。
日本人はよくものを読むと言われるけれども、その読んでいるのは、既知を読むに類するものが大部分であって、批評、評論の文章を読む人はごく限られている。
新聞の社説が読まれず、テレビ欄やスポーツ欄が読まれることを著者は言います。
社説には難しいイメージがあります。
私が学生の頃、社説を読むよう言われたことがありますが、歯が立ちませんでした。
社会人になった今でも、社説を読むことはありません。
なぜ社会人になってまで、読みたくない(読むのが難しい)文章を読まなければいけないのでしょうか。
未知を読む必要性がなければ、わからない文章より、わかる文章を読みたくなるのは自然でしょう。
未知を読む必要性には、
- 知識の習得
- 教養の育成
があると考えます。
知識の習得は、仕事や趣味で、特定の知識が必要になることです。
教養の育成は、知識の習得より漠然としていて、例えば頭が良くなりたいという願望です。
未知を読みたいという動機がなければ、読み終える前に投げ出すでしょう。
未知を読みたいという動機があったとして、
未知を読むベータ―読みとは、どのようにしたら良いのでしょうか。
ベータ―読みは難しい内容の本をくりかえしくりかえし読むことによって到達できる。(中略)十回、十五回と読み返すうちに、未知を読むことは自然に会得できる。どんなにわからない文章や本でも、反覆読んでいれば、そのうちにわかってくる。
そんな無茶な、って感じです。
難しい本を読むのが苦痛だから、その読み方を知りたいのに、繰り返し読めだなんて。
近道はないということですか。
もう一つ、ありました。
謎と疑問をそのままにして生きていると、その中から偶然、その答を暗示する状況があらわれて、問題とヒントが、あたかも、高圧の電流が一から他へ閃光とともに放電するように悟りが成立する。
時間をかけるということでしょう。
未知を読むには、
- 何度も繰り返し読む
- わからないことはそのままにして生きる
2については経験がないのでわかりませんが、1については納得します。
難しい作品でも、何度か読むと、少しわかったような気がします。
ただ、何度か読むには、何度か読みたいと思わせる力が作品にないと、難しいです。
作品をわかるようになりたいと思わなければ、同じ作品を手には取らないでしょう。
わかりたいと思った作品については、根気強く読み続け、それでもわからなければ、時間を空けて再読するのが良いと思いました。