小説を現実に活かす
「読みたい小説」と言われ、思い浮かぶのはどのようなものでしょうか。
難しい問題です。
消去法で、読みたくない小説を考えてみました。
- 家族もの(特にネガティブなもの)
- 物語が平坦すぎるもの
- 知識をひけらかしているもの
このあたりでしょうか。完全に個人の所感です。
1の「家族もの」は、現実の同僚や友人からの話でお腹いっぱいです。フィクションの世界で親子関係のいざこざを見たくありません。
それに、家族ものばかり書いている作家には、この人は家族のことしか書けないんだなと思ってしまいます(自らへの戒めです)。
例外として、重松清さんの『とんび』は良かったです。読み手を夢中にさせてくれればいいんです、極端な話。
2の「物語が平坦すぎるもの」も、読んでて飽きてしまいます。
どこにでもある、サラリーマンやOL、主婦の日常を切り取った作品は、退屈してしまいます。1の家族ものと同じで、作家に創造性がないんだなと思ってしまいます(これも自らの戒め)。
例外として、あずまきよひこさんの『よつばと!』は良いです(漫画ですが)。何が良いって登場人物のキャラクターです。平凡な日常でもキャラが立っていると読みたくなります。
3の「知識をひけらかしているもの」は、読者を選びます。
わからない語句や慣用句ばかりだと読書スピードは落ちますし、教養のなさを感じてしまうので、読む気が失せます。
乗代雄介さんの作品には、文学の知識や教養がふんだんに盛り込まれており勉強になるのですが、同時に知識のひけらかしも感じずにはいられません。
乗代さんの小説は、最新作以外全て読んでいますし、好きな作品(『本物の読書家』『生き方の問題』)もありますが、読み手のカロリーの消費が激しいです。
YouTube(動画)を視聴していれば情報が入ってくることに慣れた今、文字を追って内容を把握することが難しくなっています。どうしても楽な方に流れてしまいます。
読みたくない小説を考えたところで、読みたい小説も明確になってきました。
- 没入できる
- 読後に変化や気づきがある
- キャラクターが良い
- 解釈の余地がある
- 難解すぎない
- 小説でしか体験できない
1の「没入できる」は、没入できる小説でないと一気に読めません。一気に読めないと内容がわからなくなりますし、一度挫折した小説を再度読み始めるのは気が重いです。
2の「読後に変化や気づきがある」は、変化や気づきのある小説でないと、読んだ時間を無駄にしたと感じてしまいます。
「好きな小説10選」の記事で書いたとおり、私は変化や気づきがある小説を好んでいます。
3の「キャラクターが良い」は、物語の展開がゆるやかであっても、好きなキャラクターであれば、読み進めることができます。
4の「解釈の余地がある」は、書かれたことそのままでも面白いけど、2度3度読んで新たな発見がある小説は、読んで飽きません。
5の「難解すぎない」は、難しい小説は読んでいて疲れます。読み終わったときの達成感はありますが、難解な小説を読み進めるのは苦行です。
難解すぎると、
- 小説を読んでいる自分(小説世界)
- 小説の語句や慣用句を調べている自分(現実世界)
が明確に切り分けられてしまい、物語に没入できません。
6の「小説でしか体験できない」は、他の媒体(映画、ドラマ、アニメ)では体験できない作品です。
小説がメインの媒体となる作品には、
- 幻想的すぎて映像化できない
- 過激すぎて映像化できない
- 心理描写メインで画に動きがなくて映像化できない
などがあると思います。
上記1から6をすべて満たしている小説を思い浮かべてみましたが、見当たりませんでした。近いのは以下の2作品です。
- 『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍(著)
- 『海辺のカフカ』村上春樹(著)
条件を満たしているのが2作品だけとなると、私が小説を読む必要性について、疑わしくなってきました。
もしかしたら、小説を読む必要がなくなってきたのかもしれません。
水道橋博士さんが「たけし軍団に入ってからは小説を一切読まなくなった」と言っていた話を思い出しました。「小説世界が現実世界になった」と。
私は「小説世界が現実世界になった」のではありません。小説を現実逃避の手段にするほど若くもありません。
重要なのは、小説を読んで現実に活かすことだと思っています。
現実とは、
- 自分の生活
- 書くこと
です。小説を読んだ後、自分が変わっていなければ、意味がありません。小説を読むことは単なる趣味ではなく、生きやすくする手段だと思っています。時間を塗りつぶすだけの作品は必要ありません。
読みたい小説を考えることは、小説を書くヒントにもなると思いました。