著者最高傑作のとおり
著者最高傑作らしい本作。
森さんが自分の作品で最高傑作と言ったようです。
そのとおりだと思いました。
読めて良かったです。
本作を読めたのは、森作品を読む順番が関係してます。
- 『喜嶋先生の静かな世界』
- 『すべてがFになる』
- 『スカイ・クロラ』
この順で読みました。
もし、『すべてがFになる』を最初に読んでたら、他の森作品は読まなかったかもしれません。
『すべてがFになる』がつまらないわけではありません。
『すべてがFになる』がミステリ作品なので、森さんをミステリ作家だと思って、ミステリは今はいいかなと、敬遠した可能性があるからです。
『喜嶋先生の静かな世界』と『スカイ・クロラ』は、ミステリ作品でないことを知らずに。
今はいいかなという考えは、ある意味危険です。
いつか読もうと思っても、そのいつかが来ることは、あまりないからです。可能性はかなり低いです。
本作をあらすじから抜粋すると、
永遠の生命を持つ子供たち「キルドレ」が地上で暮らす大人のために、戦争を請負う社会。
重要なことが、あらすじにあっさり書かれてます。
- 永遠の生命を持つ子供たち「キルドレ」
- 子供は複数いる
- 子供たちは大人のために戦争を請け負ってる
- 戦争が社会として根付いてる
特に、永遠の生命については、作品の根幹です。
子供たち当人は、自分たちが永遠の生命だと、はっきりとはわかっていないようです。
飛行機の感触はしっかり憶えているが、任務を憶えていない
子供の頃の記憶も、定かではありません。
永遠の生命に気づいた同僚は、主人公に言います。
もう一度、再生して、新しい記憶を植えつけて、貴方が作られたのよ
主人公も、漠然とは気づいてたかもしれません。
- 死んだ子供は、別の子供として生まれ変わる
- 生まれ変わった子供は、戦争に従事するため、飛行機に乗る
- 飛行機の操縦ノウハウは引き継がれるので、子供に飛行機の感触はある
とはいえ、子供は大人のために戦ってるわけではないでしょう。
戦ってるのが、結果的に大人のためにはなってるだけで。
どう役立ってるのか。
戦いを間近にすることで、大人自身が平和を実感できます。
本当に死んでいく人がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけないと、平和を維持していけない
平和を維持するため、戦いを維持します。
戦いを維持するため、子供は生まれ変わって飛行機を操縦します。
同僚は言います。
自然に生まれた人間は戦っちゃいけないけれど、戦うために人工的に作られた人間なら、それが許されるという理屈?
難しい問いです。平和を維持するため、人工的に作られた子供に戦いを強いることが、良いのか悪いのか。
私はわかりませんでした。
作られた子供の選択肢は、
- 神に祈るか
- 殺し合いをするか
のどちらかです。
僕は戦うことを選び、飛ぶことを選んだ。何故なら、神に祈ったところで、きっといつかは精神が崩壊してしまう、祈ることで、生と死の秘密の関係に近づけるとは思えない
神に祈る選択をとった子供の生きざまも、読みたいと思いました。
戦うことを選んだ主人公は、上司を銃で撃ちます。
上司は死にたがってました。
上司が自殺するくらいなら、代わりに主人公が射殺するという論理は正しいのか。
目の前の子供を殺しても、別の子供として再生されるだけです。
それなら、死んだ子供を再生させてる本部を叩くべきだと思いました。
目の前の子供を殺しても、何も変わりません。
しかし主人公は、変えたいと思わなかった可能性があります。
上司が死にたいと言ってる目の前の苦痛からは逃れたいけど、根本から変える気力はないとしたら。
その場限りの対処だけを考えたら、良い選択です。先のことは先に考えればいい。
それなら私も同じだと思いました。
目の前のことだけを対処して、先のことは先々考えればいい。先延ばしです。
読む順番は重要だと再認識しました。
おかげで『ヴォイド・シェイパ』も読もうと思えます。
『ヴォイド・シェイパ』はAmazonのレビューで最高傑作と書いてる人がいました。
『スカイ・クロラ』より面白いのか、楽しみです。