いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣(著)の感想【純粋な研究者の末路】

純粋な研究者の末路

喜嶋(きしま)先生は、主人公の通う大学の助手です。

助手は、

  • 教授
  • 助教授

の次に位置するポジションです。

喜嶋先生は、立派な業績を持ってますが助手のままです。

主人公は、大学の研究室(ゼミ)で、喜嶋研究室に配属されます。

喜嶋先生は、主人公に学問を教えた人でした。

大人でも夢中になって自分の好きなことをしている人がいる、ということ疲れた顔をして、愚痴を言いながら、社会の歯車になっていくだけが人生ではない、という救いの道が一つ示された

主人公は研究者を目指します。

喜嶋先生は言います。

既にあることを知ることも、理解することも、研究ではない研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない

研究に特化された喜嶋先生の生活は、静かな生活と表現されます。

数式や数値計算の中に、すべての冒険、すべての興奮があるそれに比べると、実生活の毎日は、ほとんど変化がない寝て、起きて、食べて、を繰り返すだけ今の質素な生活で充分生きていけるのだし、生きてさえいれば研究ができる

静かな生活の対極は、主人公の彼女の生活です。

主人公の彼女は、大学卒業後、就職しました。

人間関係に揉まれて、余計なことを考えなくてはいけなくなる自分の領域だけに籠っていることはできなくなるのだ

主人公は、

  • 修士課程、博士課程
  • 助手
  • 助教授

とキャリアを歩みます。

喜嶋先生より先に、別の大学で助教授になりました。

先生は僕に対して、「です」「ます」調の丁寧な言葉を話された。「どう? 調子は」といった親しみのある言葉はもう聞くことはできなかった。

(中略)僕は少し寂しく感じた僕にとっては、ずっと先生は先生なのだから

敬語は仕方ないのかもしれませんが、主人公が寂しさを感じる気持ちはわかります。

「くん付け」で話してくれてた人が、「さん付け」になったり、逆もしかりで、呼び方一つでも、以前と異なることで、寂しさを覚えることはあります。

主人公は喜嶋先生と会う機会が減ります。

先生は後日、別の大学で助教授になりました。

結婚したことを、噂で知ります。

主人公も、結婚して子どもができました。

忙しくて、喜嶋先生には会えずにいました。

ある日、喜嶋先生が大学を辞めたことを知ります。

手紙を出しても返事はありません。関係ありそうなところに電話をしても、喜嶋先生の情報はつかめません。

主人公は、喜嶋先生が大学を辞めた理由を、想像できました。

助教授になって忙しくなり、気楽で自由な研究生活ができなくなっていたにちがいない午後の時間を睡眠に使うことができなくなり、講義をしなくてはならなくなり、委員会や学会の運営も任される立場に立たされたそんな不自由な生活に、喜嶋先生が我慢できるはずがないじゃないか

主人公は不自由な生活に我慢してました。

我慢というより、適応かもしれません。

子供も大きくなり、日曜日は家族サービスで潰れてしまう大学にいたって、つまらない雑事ばかりが押し寄せる。人事のこと、報告書のこと、カリキュラムのこと、入学試験のこと、大学改革のこと、選挙、委員会、会議、会議、そして、書類、書類、書類……。

いつから、僕は研究者を辞めたのだろう

私は、後半を読むまでは、喜嶋先生のような研究に没頭する生活に、羨ましさを感じました。

しかし後半の、

  • 助教授として働いてた大学を辞める
  • 喜嶋先生の妻が自殺

を知ると、研究だけに没頭する生活はどうなんだろうと、疑問を抱きました。

純粋に研究だけしたかった人が、別のものを手に入れるとどうなるかが垣間見えた気がします。

助教授になった理由は、結婚が関係してるかもしれません。

喜嶋先生の妻の自殺は、大学を辞めたことが関係してるかもしれません。

喜嶋先生は、大学を辞め、妻が亡くなった後、一人で研究できたのでしょうか。

今まであったものをなくしてなお、先の見えない研究に、再び励むことができたのでしょうか。

助手として出世を諦めた状態では、生活が厳しかったのでしょうか。

わかりません。

静かな世界は、孤独でさびしい世界でもあると思いました。