純粋な研究者の末路
喜嶋(きしま)先生は、主人公の通う大学の助手です。
助手は、
- 教授
- 助教授
の次に位置するポジションです。
喜嶋先生は、立派な業績を持ってますが助手のままです。
主人公は、大学の研究室(ゼミ)で、喜嶋研究室に配属されます。
喜嶋先生は、主人公に学問を教えた人でした。
大人でも夢中になって自分の好きなことをしている人がいる、ということ。疲れた顔をして、愚痴を言いながら、社会の歯車になっていくだけが人生ではない、という救いの道が一つ示された。
主人公は研究者を目指します。
喜嶋先生は言います。
既にあることを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない
研究に特化された喜嶋先生の生活は、静かな生活と表現されます。
数式や数値計算の中に、すべての冒険、すべての興奮がある。それに比べると、実生活の毎日は、ほとんど変化がない。寝て、起きて、食べて、を繰り返すだけ。今の質素な生活で充分生きていけるのだし、生きてさえいれば研究ができる。
静かな生活の対極は、主人公の彼女の生活です。
主人公の彼女は、大学卒業後、就職しました。
人間関係に揉まれて、余計なことを考えなくてはいけなくなる。自分の領域だけに籠っていることはできなくなるのだ。
主人公は、
- 修士課程、博士課程
- 助手
- 助教授
とキャリアを歩みます。
喜嶋先生より先に、別の大学で助教授になりました。
先生は僕に対して、「です」「ます」調の丁寧な言葉を話された。「どう? 調子は」といった親しみのある言葉はもう聞くことはできなかった。
(中略)僕は少し寂しく感じた。僕にとっては、ずっと先生は先生なのだから。
敬語は仕方ないのかもしれませんが、主人公が寂しさを感じる気持ちはわかります。
「くん付け」で話してくれてた人が、「さん付け」になったり、逆もしかりで、呼び方一つでも、以前と異なることで、寂しさを覚えることはあります。
主人公は喜嶋先生と会う機会が減ります。
先生は後日、別の大学で助教授になりました。
結婚したことを、噂で知ります。
主人公も、結婚して子どもができました。
忙しくて、喜嶋先生には会えずにいました。
ある日、喜嶋先生が大学を辞めたことを知ります。
手紙を出しても返事はありません。関係ありそうなところに電話をしても、喜嶋先生の情報はつかめません。
主人公は、喜嶋先生が大学を辞めた理由を、想像できました。
助教授になって忙しくなり、気楽で自由な研究生活ができなくなっていたにちがいない。午後の時間を睡眠に使うことができなくなり、講義をしなくてはならなくなり、委員会や学会の運営も任される立場に立たされた。そんな不自由な生活に、喜嶋先生が我慢できるはずがないじゃないか。
主人公は不自由な生活に我慢してました。
我慢というより、適応かもしれません。
子供も大きくなり、日曜日は家族サービスで潰れてしまう。大学にいたって、つまらない雑事ばかりが押し寄せる。人事のこと、報告書のこと、カリキュラムのこと、入学試験のこと、大学改革のこと、選挙、委員会、会議、会議、そして、書類、書類、書類……。
いつから、僕は研究者を辞めたのだろう。
私は、後半を読むまでは、喜嶋先生のような研究に没頭する生活に、羨ましさを感じました。
しかし後半の、
- 助教授として働いてた大学を辞める
- 喜嶋先生の妻が自殺
を知ると、研究だけに没頭する生活はどうなんだろうと、疑問を抱きました。
純粋に研究だけしたかった人が、別のものを手に入れるとどうなるかが垣間見えた気がします。
助教授になった理由は、結婚が関係してるかもしれません。
喜嶋先生の妻の自殺は、大学を辞めたことが関係してるかもしれません。
喜嶋先生は、大学を辞め、妻が亡くなった後、一人で研究できたのでしょうか。
今まであったものをなくしてなお、先の見えない研究に、再び励むことができたのでしょうか。
助手として出世を諦めた状態では、生活が厳しかったのでしょうか。
わかりません。
静かな世界は、孤独でさびしい世界でもあると思いました。