『喜嶋先生の静かな世界』との違い
『喜嶋先生の静かな世界』が良かったので読みました。
感想はこちらです。
『キシマ先生の静かな生活』は、Amazonで合本版の「1 (全2冊) 番目の本」として紹介されてました。
『喜嶋先生の静かな世界』の前日譚かと思ってポチりましたが、違いました。
『喜嶋先生の静かな世界』を凝縮したような内容でした。
- 『キシマ先生の静かな生活』:『まどろみ消去』(2000年7月刊)に収録されてる短編
- 『喜嶋先生の静かな世界』:2013年に出版された長編
出版順でいえば、
- 『キシマ先生の静かな生活』が「1 (全2冊) 番目の本」
- 『喜嶋先生の静かな世界』は「2(全2冊) 番目の本」
になるでしょう。
しかし、『喜嶋先生の静かな世界』だけ読めば良いと思いました。
『まどろみ消去』に収録されてる『キシマ先生の静かな生活』を読んで気に入った人が、『喜嶋先生の静かな世界』を読めばいいわけです。
逆はおすすめできません。
『喜嶋先生の静かな世界』を先に読んだ人は、『キシマ先生の静かな生活』を読む必要はないと思いました。
『喜嶋先生の静かな世界』の内容が凝縮されてるメリットはありますが、『喜嶋先生の静かな世界』を読んだ人が凝縮された作品を読む必要は感じられません。
どちらも未読の方は、『喜嶋先生の静かな世界』だけ読めばいいと思います。
違いはないのかと言われれば、違いはあります。
例えば、『キシマ先生の静かな生活』のラスト部分、
風の便りで、キシマ先生の奥さんが自殺して亡くなった、と聞いたのも、つい最近のことである。
でも、キシマ先生だけは、今でも相変わらず、学問の王道を歩かれている、と僕は信じている。
『喜嶋先生の静かな世界』では、
僕は信じているのだ。
喜嶋先生だけは、今でも相変わらず、
学問の王道を歩かれているにちがいない。
きっと、先生だけは……。
『キシマ先生の静かな生活』は、「僕は信じている。」で終わってるので、前向きな印象があります。
『喜嶋先生の静かな世界』では、「きっと、先生だけは……。」で終わっており、含みを持たせてる印象です。
その含みには、
- これで良かったんですよね、先生?
- 先生は変わらないんですね
- 先生は自分の研究ができればいいんですよね
という主人公の問いかけや諦めがあると思いました。
喜嶋先生が大学を辞め、妻を亡くし、静かな生活を取り戻したことに、『喜嶋先生の静かな世界』の主人公は、少なからずネガティブな感情を抱いてる気がしました。
少なくとも、「きっと、先生だけは……。」で、好意的な印象を抱いてるとは、私は思えませんでした。
主人公は、生活するために、やりたくないことを引き受けてます。
本当は、研究に没頭できる喜嶋先生のような生き方に、憧れてたのだと思います。
主人公は助教授になって、それが難しいと知りました。
研究以外にもやらなければいけないことが山積し、主人公はそれを引き受けてきました。
喜嶋先生は一旦引き受けたものの、やり遂げることはできませんでした。
喜嶋先生の奥さんの自殺も、何か影響してるのかもしれません。
「きっと、先生だけは……。」には否定的なニュアンスが含まれてると思いました。
そして私は、主人公に同感しました。