いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『キシマ先生の静かな生活』森博嗣(著)の感想【『喜嶋先生の静かな世界』との違い】

『喜嶋先生の静かな世界』との違い

『喜嶋先生の静かな世界』が良かったので読みました。

感想はこちらです。

『キシマ先生の静かな生活』は、Amazonで合本版の「1 (全2冊) 番目の本」として紹介されてました。

『喜嶋先生の静かな世界』の前日譚かと思ってポチりましたが、違いました。

『喜嶋先生の静かな世界』を凝縮したような内容でした。

  • 『キシマ先生の静かな生活』:『まどろみ消去』(2000年7月刊)に収録されてる短編
  • 『喜嶋先生の静かな世界』:2013年に出版された長編

出版順でいえば、

  • 『キシマ先生の静かな生活』が「1 (全2冊) 番目の本」
  • 『喜嶋先生の静かな世界』は「2(全2冊) 番目の本」

になるでしょう。

しかし、『喜嶋先生の静かな世界』だけ読めば良いと思いました。

『まどろみ消去』に収録されてる『キシマ先生の静かな生活』を読んで気に入った人が、『喜嶋先生の静かな世界』を読めばいいわけです。

逆はおすすめできません。

『喜嶋先生の静かな世界』を先に読んだ人は、『キシマ先生の静かな生活』を読む必要はないと思いました。

『喜嶋先生の静かな世界』の内容が凝縮されてるメリットはありますが、『喜嶋先生の静かな世界』を読んだ人が凝縮された作品を読む必要は感じられません。

どちらも未読の方は、『喜嶋先生の静かな世界』だけ読めばいいと思います。

違いはないのかと言われれば、違いはあります。

例えば、『キシマ先生の静かな生活』のラスト部分、

風の便りで、キシマ先生の奥さんが自殺して亡くなった、と聞いたのも、つい最近のことである

でも、キシマ先生だけは、今でも相変わらず、学問の王道を歩かれている、と僕は信じている

『喜嶋先生の静かな世界』では、

僕は信じているのだ

喜嶋先生だけは、今でも相変わらず、

学問の王道を歩かれているにちがいない。

きっと、先生だけは……

『キシマ先生の静かな生活』は、「僕は信じている。」で終わってるので、前向きな印象があります。

『喜嶋先生の静かな世界』では、「きっと、先生だけは……。」で終わっており、含みを持たせてる印象です。

その含みには、

  • これで良かったんですよね、先生?
  • 先生は変わらないんですね
  • 先生は自分の研究ができればいいんですよね

という主人公の問いかけや諦めがあると思いました。

喜嶋先生が大学を辞め、妻を亡くし、静かな生活を取り戻したことに、『喜嶋先生の静かな世界』の主人公は、少なからずネガティブな感情を抱いてる気がしました。

少なくとも、「きっと、先生だけは……。」で、好意的な印象を抱いてるとは、私は思えませんでした。

主人公は、生活するために、やりたくないことを引き受けてます。

本当は、研究に没頭できる喜嶋先生のような生き方に、憧れてたのだと思います。

主人公は助教授になって、それが難しいと知りました。

研究以外にもやらなければいけないことが山積し、主人公はそれを引き受けてきました。

喜嶋先生は一旦引き受けたものの、やり遂げることはできませんでした。

喜嶋先生の奥さんの自殺も、何か影響してるのかもしれません。

「きっと、先生だけは……。」には否定的なニュアンスが含まれてると思いました。

そして私は、主人公に同感しました。