小説にしかできないこと
本作は、村上さんがアメリカの大学で行われた講演されたときの、元原稿です。
僕がまず原稿を日本語で書き、それをイヴ・ジンマーマン教授が英語に翻訳し、更にそれに僕が手を入れるという作業がおこなわれた。
本書には、日本語だけでなく、講演で村上さんが読んだ英語の原稿も掲載されています。
講演のタイトルは、「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」。
今のこの時点で作家が人々を前に話をするとすれば、このテーマで話すしかあるまいという思いはあった。
講演は、2023年4月に行われました。
村上さんは、新作『街とその不確かな壁』を要約します。
アメリカでは翻訳版がまだ出版されていないので、この要約は、読んでいない人にもわかるように書いたものでしょう。
私が感想を書くときにも参考になると思い、少し長いですが、抜粋します。
主人公は二つの世界を行き来することになります。一つは高い壁に囲まれて、外と行き来することのできない世界です。誰も中に入れないし、誰も外に出ていけません。その壁の中で、住民たちはとても心静かに、平穏の内に暮らしています。質素でつつましい世界で、誰も欲望というものを持ちません。だから争いも起きません。もう一つはその壁の外の世界です。つまり僕らが今こうして生活しているこの世界です。その世界は苦しみと欲望と矛盾に満ちています。主人公はその二つの世界のどちらかひとつを選択しなくてはなりません。
要約の勉強になったのは、
- 主人公の視点で書く(他の登場人物を書かない)
- 主人公がどうするか(二つの世界を行き来)を書き、物語の構造(壁に囲まれた世界と壁の外の世界)を書き、具体的な内容を書かない(ネタバレせずに論点を明確にしている。壁の中か壁の外、主人公はどちらを選ぶかに論点を絞る)
- 現実世界とリンクさせる(壁の外=私たちが生活している世界として、自分事にさせる)
では、疫病と戦争の時代に、小説家は何ができるのでしょうか。
村上さんは、「この時代に小説はどれほどの効力を持ちうるか?」という質問に置き換えた上で、答えます。
「あまりたいしたことはできそうにありません」というものになりそうです。小説には即効的な力は、残念ながらほとんどないからです。情報的にみれば、小説の発する情報の量もスピードも、ソーシャル・メディアの世界でやりとりされる情報のそれには到底及びません。また小説というのは書くのにも時間がかかるし、読むのにもそれなりの時間がかかります。
一方で、
小説という形態の優れた点は実に、書くのにも読むのにも時間がかかるというところにあります。時間をかけてしか生み出せないもの、時間をかけてしか受け取れないもの――そういうものがこの世界にはやはり必要であるはずです。(中略)小説にできて、小説以外のものにはできないこと。それは長い物語を、時間をかけてくぐり抜けることです。
「時間をかけてくぐり抜ける」のは、小説にしかできないことだと思いました。
小説を読むのは、自分のペースで決められます。
読む手を止めて、風景を眺めたり、空想に浸ったり、自分に関連させて考えたりすることができます。
流れ続ける映像だとそうはいきません。
物語の途中で停止ボタンを押して空想に浸ることは、ほとんどありません。
物語について思い返すのは、映像が終わってからです。
私は『街とその不確かな壁』を、一日で読み終えてしまいました。
それは、時間をかけてくぐり抜けていないのだと思います。
一気にくぐり抜けてから、あの箇所はどうだったかと思い返して、感想を書きました。
くぐり抜けながら考えるのと、くぐり抜けてから考えるのは、違うかもしれません。
それでも私は、物語をくぐり抜けてから感想を書くと思います。
そして、もう一度物語をくぐり抜けるために、再読しようと思います。