何者とは何か
著者名である「なにおれ」は、ブログ名「きっと何者にもなれない俺たちのライフスタイル」の略称からきているそうです。
僕は、今でも何者にもなれていません。
え? 本一冊出してるのに?
何者の定義はされてないので、なにおれさんの言う何者は、わかりません。
ですが、一読者の私としては、本を出版した時点で、何者だと思うのです。
それなのに、何者にもなれていないと言うのは、謙遜かもしれませんが、なんとなく嫌な感じがしました。
なにおれさんは、自身が考える何者かにはなれていない、と言いたいのでしょう。
ただ、本を一冊も出したことのない身からしたら、「あなたは何者ですよ」と言いたいわけです。
謙遜するなら、「何者にもなれないと思った僕が、本を一冊出せました。読者の方は、なにおれが何者になったと思うかもしれませんが、今でも何者になれたとは思っていません」って言ってほしいです。
そしたら、私も、すごいなあと感嘆するので。
愚痴から始まりましたが、良い本でした。
例えば、欲望について。
欲望というのは、自分の内側から生まれたものと、他人に刺激されて生まれたものの2種類があります。
テレビ番組を見たり、SNSを眺めたり、ウィンドウショッピングをしたりする中で刺激された欲望は、時間が経つにつれて薄れていくものです。(中略)他人に刺激されただけの欲望だからです。
Amazonのセールなどで、安いという理由で買ったものが、そんなに気に入らないのは、他人(広告や安さ)に刺激されて生まれた欲望だからだと思いました。
元々欲しかったものが安かったのではなく、今まで欲しくなかったけど、安いから買うというのは、良くなさそうです。
また、自己投資についての考えも良かったです。
自分たちにお金を使うときは、返ってくる金額が事前に計算できるときだけに限定する。いまの時点でリターンを計算できないことには、できるだけお金をかけない。
この手の本で、自己投資をガンガンするよう言わないのは、好感が持てます。
自己投資と言いつつ、自ら運営するセミナーの勧誘や、オンラインサロンへの入会を促す本は、自己啓発本で見かけてきました。
しかし、本書はそうではありません。
金銭的リターンを事前に計算できることが自己投資の最低条件だと思っています。
自己投資は、自分にお金をかければ何でもいいわけではありません。
お金をかけた結果、お金を稼げる見立てがあることが重要のようです。
私は以前、小説を書くスクールに通っていたことがあります。
小説家になるための自己投資だと思って、年間10万以上払っていました。
しかし私は、小説家になれてませんし、払った分のお金も回収できていません。
なにおれさんの定義では、自己投資ではないでしょう。
趣味だったことになります。
では、スクールに通わなければ良かったのかといえば、そうとも思いません。
私は、自己投資だと思って、スクールに通ってました。
一つでも多くのことを吸収し、小説に還元し、新人賞に応募しました。
結果は伴いませんでした。
これは自己投資ではなかったのでしょうか。
自己投資だったと思いたいですが、情けないことに、証明するすべはありません。
無駄金払ってもったいないと言われたら、悔しいですが、反論できません。
私にとっては自己投資でした。金銭的リターンは計算できませんでしたが、未来の生活は空想していました。
自分が納得してお金を払ったのなら良いと、抵抗しておきます。