明るい未来が見えなくても
「荒地」の家族。
タイトルが重いです。
帯のキャッチコピーに、
あの災厄から十年余り、男はその地を彷徨いつづけた。
とあり、読む前から気が重いです。
「荒地」とは、東日本大震災の被害を受けた土地です。
主人公は、宮城県で植木職人をしています。
10年前、植木屋として独立した直後、災厄が起きました。
植木に関係ない仕事も引き受け、生計を立てました。
最初の妻は肺炎で亡くなり、再婚した妻は家を出て行きました。
主人公は、母と息子(最初の妻との子)と一緒に住んでいます。
小学校高学年の息子は、主人公を避けるようになります。
ヘッドホンや本で、主人公に会話の隙を与えません。
主人公が釣りに誘っても、「寒いから」で一蹴されてしまいます。
それでも、息子の成長だけが、主人公の唯一の生きる希望に見えました。見せてないですが、垣間見えます。
ある日、息子が鉄棒から落ちて頭を怪我します。
学校から連絡を受けた主人公は、病院へ向かいます。主人公の運転は、歩行者をはねそうになったり店にぶつかりそうになったり、危ういです。
息子の無事を確認した主人公は、事故の原因が、鉄棒での危険な遊びだったと知ります。
主人公は、「ばかやろう」と息子に大声を出します。
頭が混乱して涙がとまらなくなった。もし頭を打っていたらと悪い想像をしては、またすぐ無事だったと安堵する。
伏せた頭の後ろに温度を感じた。
息子が、主人公の頭に手を置きます。
小学6年生の息子が、泣いている父親の頭に手を置くとは、なかなか考えにくいですが、私はほろっと泣けてしまいました。
元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か(中略)十年前か。二十年前か。一人ひとりの「元」はそれぞれ時代も場所も違い、一番平穏だった感情を取り戻したいと願う。
私には、「元の生活に戻りたい」=「一番平穏だった感情を取り戻したい」が、わかりませんでした。
私が直接、災厄の被害に遭っていないからでしょう。
家の壊滅などの被害を受けていたら、被害を受ける前である「元」に戻りたいと思うはずです。
本作を読んで、明るい気持ちにはなれません。
リアルです。ドキュメンタリーのようです。
じゃあドキュメンタリーでいいじゃないかと言われれば、その通りかもしれません。
辛い現実をあえて小説にする必要性があるのか、考えました。
あると思いました。
『荒地の家族』のようなドキュメンタリーを、私は見られません。
小説を映像化されても、見たいとは思いません。
ただ小説は、読んで良かったと思いました。
映像だったら、生々しい演出だったかもしれません。
息子が主人公の頭に手を置くシーンは、優しげな音楽が流れるでしょう。
本作は、生々しくありません。
主人公から、「災厄に遭ったかわいそうな自分」という印象を受けません。
息子は、「母がいないかわいそうな自分」という感情を見せません。
災厄から10年、明るい未来が見えなくても、生きています。