空の怪物アグイー
大江さんの初期短篇の読後感は、やるせないです。
- 頑張っても報われない
- 無駄な努力
- 予想外の裏切り
など、ため息をついてしまう終わり方の作品が多いです。(それが良さでもあります)
ただ、『空の怪物アグイー』は少し違います。
主人公は大学生のとき、音楽家の付き添いをするというバイトをします。
音楽家には、空から降りてくる物体(怪物)が見えています。
怪物は、カンガルーほどの大きさの赤ん坊です。
音楽家以外に、怪物は見えません。
主人公は、音楽家の元妻から、音楽家について聞きます。
- 音楽家と元妻の間に赤ん坊ができたこと
- 赤ん坊は脳ヘルニアと誤診され、殺すことにしたこと
- 赤ん坊は「アグイー」とだけ言ったこと
音楽家の元妻は、音楽家について言います。
赤んぼうの死んだ瞬間から、もう自分も死んだ人間のように新しい思い出はつくるまいとして、この現実の《時間》を積極的に生きなくなったんじゃない? それから赤んぼうのお化けにはどんどん新しい思い出をつくらせようとして、東京じゅうのいろんな場所で地上に呼びおろしているのじゃない?
ある日、音楽家はトラックに飛び込んで死にました。
通行人は、「自殺だ、あれは」と言い張ります。
主人公には、音楽家がアグイー(怪物)を助けるために、トラックに飛び込んだように見えました。
しかし、主人公にはもう一つの考えが浮かびます。
あなたは自殺するためにだけぼくを雇ったんですか? アグイーなどあれはカムフラージュだったんじゃありませんか?
音楽家はすでに亡くなっているので、自殺するつもりだったかはわかりません。
しかし音楽家はトラックに飛び込む前、主人公にプレゼントをあげていました。
音楽家は自殺する気だったのかもしれません。
大江健三郎さんの小説に、『個人的な体験』(1964年8月)があります。
『個人的な体験』では、奇形な頭を持って生まれた赤ん坊を、育てる決意をします。
大江さん自身の子どもも、脳に障害を持って生まれています。
赤ん坊を殺してしまう『空の怪物アグイー』(1964年1月)とは真逆です。
『空の怪物アグイー』では、赤ん坊を殺してしまった音楽家は、死んでしまいます。
『個人的な体験』では、赤ん坊を育てる決意をした主人公は、生きていきます。
書かれた時期はほぼ同じですが、赤ん坊を殺す選択をした『空の怪物アグイー』が、育てる選択をした『個人的な体験』より、先に出ています。
どういう意図かはわかりません。
生まれた赤ん坊に障害があるという理由で、殺す選択をしても、その選択からは逃れられないと、戒めているように感じます。