読書体験を振り返る
サブタイトルに惹かれて本を読んだのは、初めてでした。
「私の文学史」だけだったら、手に取らなかったかもしれません。
「なぜ俺はこんな人間になったのか?」があることで、どうして町田さんは、町田さんになったのか、気になりました。
町田さんは自身の読書体験を振り返ります。
- 『物語日本史』
- 北杜夫
- 筒井康隆
- 大江健三郎
の影響によって、語彙がおかしくなったと言います。
「自分がなぜ、今こうなっているのか」を知るためには、自身の読書体験を振り返ることが良いと、町田さんは勧めます。
自分がはじめて意識して読んだ本はなんだったのかとか、自分の身の回りに、ほぼ自然環境のようにしてあって、何度も読んだ本ってなんだったのかと、考えてみるとよいかもしれません。
私も考えてみます。
- はじめて意識して読んだ本:漫画の伝記シリーズ、ハリーポッターと賢者の石
- 自分の身の回りに、ほぼ自然環境のようにしてあって、何度も読んだ本:ない
漫画の伝記は、小学校の授業で図書館で本を読むとき、手に取っていました。文字を読みたくなかったから漫画ですね。
誰の伝記を読んでいたかとか、内容とかは、覚えていません。
ハリーポッターと賢者の石は、自分のお金で始めて買った本ですね。映画を観て、本を読みました。
秘密の部屋、アズカバンの囚人、炎のゴブレットと買って読んで、不死鳥の騎士団からは読んでないですね。
ハリーポッターは、魔法学校でなんやかんやあった後の、帰りの汽車の場面が好きなんですよね。それと、学校に行く電車を乗る前の、駅のシーン。
カタルシスと、わくわく。
一方、自然環境のようにあって何度も読んだ本の記憶は、ほぼありません。
親の本棚から本を抜き取って読むことはありましたが、何度も同じ本を読む、ということはありませんでした。暇だし聞いたことのある名前の本だから読んでみるかって感じでしたね。
唯一、友達の家に行ったとき、プロ野球選手の上原浩治さんを描いた漫画を何度も読んでましたね。
「上原の漫画読ませて」って言うと、「え、また」って言われてました。
小学校、中学校、高校と運動部でしたから、本をちゃんと読むって経験は、高校3年生からでしたね。
小説を買って読むのではなく、センター試験の国語の過去問ですが。
- 松村栄子さんの『僕はかぐや姫』(主人公(女子高生)の一人称が僕)
- 山田詠美さんの『眠れる分度器』(生徒が先生の腕を噛む)
が良かったのを覚えています。
『眠れる分度器』を収録してる『ぼくは勉強ができない』は、高校生のときに買って読みました。
『僕はかぐや姫』は買いませんでした。社会人になってから読みましたが、どうして高校生のとき、読まなかったのだろう。
人間が言葉で生きている部分、言葉で納得したり、言葉で憤ったりしていることが多い部分、それこそが、自分が今、こうなっていることの原因の大きな一つではないか
感想②はこちらです。