本や読書は何のためにあるのか
感想①はこちらです。
本や読書は何のためにあるのでしょうか。
本書で取り上げられている本は文学です。
文学と読書について、又吉さんの言葉を引用しながら、考えていきます。
本は僕に必要なものでした、本当に必要なものでした。自分を不安にさせる、自分の中にある異常と思われる部分や、欠陥と思われる部分が小説として言語化されていることが嬉しかった。
異常性や欠陥性も、文学は受け入れます。その傾向が強い近代文学を、又吉さんは好むようになります。
本に求めていたのは、自身の葛藤や、内面のどうしようもない感情をどう消化していくかということでした。(中略)僕が抱えていた悩みや疑問に対して過去にも同じように誰かがぶつかっていて、その小説の中で誰かが回答を出していたり、答えに辿りつかなくとも、その悩みがどのように変化していくのかを小説の中で体験することができました。
小説を読むとき、読み手は主人公に近い視点になります。
映像作品よりも、自身が体験しているような感覚を得られます。
生きていくことは面倒くさい。答えがありません。本はそのことを教えてくれます。答えがないことを学ぶことができます。その時の主人公の迷いや葛藤、その末の判断を知ることができます。
文学は内面描写が多いので、自分以外にもこんなに悩む同士がいるのかという安心感があります。
本には、自分の考えや葛藤していることへのヒントが必ず出てきます。
又吉さんは、本書で「葛藤」という言葉を多用しています。
芸人さんとして生きる、人間として生きる際に、本(文学)からヒントを得ていたのでしょう。
又吉さんは、中村文則さんの『何もかも憂鬱な夜に』を読んで、
あと二年は生きられると思いました。別に死のうなんて思ってもいなかったのにそう思いました。
と、夜を乗り越える作品として、紹介しています。
「別に死のうなんて思ってもいなかった」からこそ、本を読めるのだと思います。
乗り越えられないほど辛い夜に、読書はできません。文字を読むことなんてできないでしょう。
本を読んでいると思考を刺激されます。辛い時に本を読むと、自分の辛いことを考えてしまい、読書に集中できないでしょう。
自分の辛さを直接解消してくれる実用書なら読めるかもしれませんが、文学は厳しいです。
しんどいときには、本を読めないと思っています。私は読めませんでした。
ただ本は、しんどくなる前に、ヒントをくれます。
夜を乗り越えなければならない状況を、事前に回避する考え方を得られます。
本を読むと、自分の考えを巡らせることになります。
辛いときは辛いことに考えが集中してしまうため、本の内容が頭に入ってきません。
しかし、辛くない精神状態なら、登場人物の視点に立って、自分ならどうするかを考え、事前に予習することができます。
自分が主人公と同じ状況なら、どう考えるか、どう行動するか。
本は悩みを直接解決する手段にはなりにくいですが、悩みを解釈する手段にはなり得ます。