編集者視点の小説の書き方
著者は、新潮社の編集者です。
40年間、編集に携わり、5つの新人賞を立ち上げた経験があるようです。
小説を書こうとする方々に申し上げたいのは、好きなように書くのが身のためですよ、ということだ。これだけ小説の「物差し」が変化してきたのだ、昨日までの「傾向と対策」などすっかり捨てておしまいなさい。
- 好きなように書く
- 「傾向と対策」を学んで書く
新人賞を受賞できれば、どちらでもよいと思いました。
私は、応募する新人賞の受賞作を読んだところで、その新人賞の「傾向」も「対策」もつかめません。
必然的に、好きなように書くしかありません。
もちろん、好きなように書けば何でも良いわけではありません。
この世の大半の人々が良しとしている社会的価値観を、漠然と「公序良俗」と呼んでいいなら、これをそのまま、何のたくらみもなく小説に反映させようというのは愚行である。
タイトルにもある、「たくらみ」が必要なのでしょう。
人の心の危うさをこそ好んで描くのが小説というもの。最終的には主人公が正義の側を選択するにしても、ジレンマに陥った際に悪魔の誘惑に乗るといった迷い道をし、なかなか抜け出せなかったりするものだ。
- たくらみがある小説:人の心の危うさを描き、迷いながら道を進む
- たくらみがない小説:公序良俗をそのまま当てはめ、一本道を進む
また著者は、ダイレクトにテーマを出すことで、説得力をなくすと言います。
「結果として」「気づかぬうちに」読者が説得されていたという形が取れない限り、その小説は一番大事なところで失敗を犯すことになるのだ。
読者をテーマに誘い込み、読者は感動とともに何物かを得る
読者を説得しようとしすぎてはいけない、ということでしょう。
語り手や登場人物が話し過ぎる小説は、読者を説得しにきてる感があります。
語り手や登場人物の口を借りて、作者の言いたいことを代弁させてる感があります。
私も、知らないうちに説得されている小説の方が好みです。
では、どんな分野の小説を書けばいいのでしょうか。
小説という長尺のメディアにふさわしい分野は、(中略)「人生哲学」を含む哲学系であり、自然科学や社会科学のような専門性の高い研究であろう。
(中略)なぜそうした分野が小説と相性がいいかと言えば、答えは簡単で、いくらでも深堀りがきくからである。テーマの何段階もの深化に寄り添えるだけの、井戸の深さをもっているからに他ならない。
小説=長尺のメディアという感覚はありませんでした。
確かに、テレビや映画、YouTubeと比較すると、小説は長尺です。
長尺だからこそ、登場人物を掘り下げられます。
長尺には長尺の戦い方があると感じました。
やるべきことは、
ともかく興味ある分野に詳しくなることだ。(中略)得意分野を複数作ることだ。この分野なら誰にも負けないと胸を張れるもの。自分のものとなったそれらの視角が複数集まり、時間の積み重ねと相まって「積分」的な思考が生まれるのである。
専門性を極めて小説に落とし込めば、その小説だけの希少性が生まれます。
新人賞の受賞作は、今までの小説や、他の応募作とは、似ていないのだと思います。
その小説にしかないものを出すためにも、専門性を取り入れるのが良いと学べました。