4回も読んでる
私は過去3回、『改良』の感想を書いてます。
1回目は、2019年11月。
2回目は、2020年11月。
3回目は、2022年4月(読書メーターで記載)。
約1年ぶり、4回目の『改良』。
4回目の感想を書いてるということは、本書を4回読んでます。
なぜ、4回も読んでるのだろう、と思ってしまいます。
文藝賞での選考委員だった磯﨑憲一郎さんは言います。
思考の癖みたいなものがどうしようもなく出てきてしまっているところが、小説として信頼に足ると思った。「改良」が受賞にふさわしい作品なのはその点です。
文庫本の解説で、平野啓一郎さんは書いています。
既に確乎たる個性的な文体を獲得しており
(中略)絶えず、ユーモアのかたちを採った、何とも知れない落ち着かなさが感じられ、それが巧みな構成力と相俟って、物語の進展と共に増幅されてゆく。
- 磯﨑憲一郎さんの言うところの「思考の癖」
- 平野啓一郎さんの言うところの「文体」「何とも知れない落ち着かなさ」
私が『改良』を何度も読むのは、文章に惹かれるからだと思います。
著者の遠野さんは、
一度小説を書きあげると、批判的な観点から何十回か読み返して原型がなくなるくらいボコボコに修正します
と語っています。
漱石全集を机に置いて、書き方に迷ったときにはよく参照していました。たとえば人物の外見的な特徴をどの程度書き込むべきか迷ったときに、漱石はどの程度書き込んでいるのかな、と参照したりしていました。
小説を書く際に、参考になる書き方です。
磯﨑さんとの対談で、遠野さんは、「プロとして小説を書いていくうえで、大事なことって何でしょうか?」と聞きます。
磯﨑さんは言います。
小説は語り口がいちばん大事だと思っています。(中略)語り口は、絵画でいえばタッチにあたるようなものだと思います。小説を書くときに、その語り口に乗っかれるかどうか、これがほとんどすべてなんじゃないか、テーマとかメッセージなんて、ある意味どうでもいい。
確かにそうかもしれない、と思いました。
私が、本書以外で何度も読み返す小説に、以下があります。
- 中村文則『銃』
- 村上春樹『風の歌を聴け』
- 町屋良平『青が破れる』
- 高橋弘希『日曜日の人々』
いずれの作品も、ストーリーを読みたいより、書かれている文章を読みたいから、手に取ります。
文章の読み心地を求めて、再読しています。
これらの本を手に取るとき、肩に力は入っておらず、なんとなく読んでいます。
読み始めたら、最後まで読んでしまう。そんな小説たちです。
読後感が良いとか、感動するとか、そういう作品ではありません。
でもなぜか、定期的に読みたくなる。
磯﨑さんの言う「語り口」なんだと思います。