心がない教師
面白く一気に読みました。
文學界新人賞の受賞作2作のうちの1作ですが、本作の単独受賞で良いと思いました。
中学校の音楽教師である主人公は、男子生徒同士の喧嘩の第一発見者として、話し合いの場に出席させられます。
生徒の親や、教頭なども出席する、緊迫した空気の中、主人公は頭の中でラップを刻んでいます。
誰がとる責任?/傷口をテーピング/定時に乗れるかな京浜東北線/公務員とPTA会員
主人公はなぜか笑っていたようで、話し合いの出席者から顰蹙を買います。
私は、自分を良い教師であると思ったことなど一度もない。でも少なくとも、良い教師であろうと手を尽くしてきたという自負はある。
「良い教師であろうと手を尽くしてきた」感じは、残念ながら見受けられません。
音楽を聴く「耳」はあるが、「心」がない教師です。
主人公の父親は、有名な音楽家です。主人公が高校生のとき、父親との会話で頭に浮かんだ「音楽教育」という言葉をきっかけに、父の反対を押し切って音楽教師になりました。
主人公の中学校では、合唱祭で音楽教員が出し物(特別演奏)をするのが伝統になっています。
合唱祭の司会を務める主人公は、合唱の途中で緊急地震速報が鳴って中断したクラスの合唱を歌い直させることなく、自身はしっかり出し物を披露しています。
歌い直させたところで入賞はできないという主人公の配慮がありますが、疑問の余地があります。というのも、
私の特別演奏は、本番の半年前から演目を設定し、楽器は必要に応じて海外からでも身銭を切って本物を取り寄せる。毎日二時間以上の練習時間を確保し、演奏技術を一定のレベルにまで到達させた上で、やっと本番を迎えることができる。
と、10分の持ち時間にまるでコンサートへの気合いの入れようです。
主人公にとって「良い教師であろうと手を尽くしてきた」は、一年に一度の特別演奏を出し尽くすことだと言えます。
選評で中村文則さんは、主人公の特別演奏の描写がないことを指摘します。
教え子達の発表時間を奪ってまで生徒などをディスるラップをやる音楽教師の描写は山場のはずだった。それがないのは致命的だけども、この書き手はそのシーンを書く力はあると判断し、受賞に推した。
肝心のシーンを書いてなくても、書けると判断される書き手だと、実力を認められています。
他の選考委員も、合唱祭で主人公の特別演奏がない点を指摘していました。
私はそのシーンがないことの物足りなさを感じませんでした。
ですが、主人公の特別演奏のシーンがあった方が良いのは確かなので、私は読みの甘さを感じました。
物足りなさを感じたと言えば、主人公の背負った名前(そなた=ソナタ)と同じ呪縛を背負った生徒(かのん=カノン)の、名前への言及がないことです。
同じ音楽用語を背負った者への主人公の配慮がありそうなものですが、敵対したまま終わるのは残念な気がしました。
選評で円城塔さんは、
自作をどこに公開するかは書き手の自由であって、しかし媒体についての考慮はあるべきであるかと思う。
とあるとおり、本作は文章を凝らした文学作品というより、エンタメ要素がある作品です。
ただ、一気に読ませる文章力や構成力があるのは事実なので、受賞作として読めて良かったです。
調べた言葉
- 料簡(りょうけん):考え
- 情操教育:芸術的、道徳的、宗教的など、社会的価値を帯びた感情や意志の育成を目的に行われる教育