きわめて優れたスケッチ
文學界新人賞には、2817作の応募があったそうです。
受賞作は2817作のうちの2作。ですが選考委員の選評は厳しいです。
『穀雨のころ』は、長嶋有さんだけが○をつけ、その他4人の選考委員は×をつけたそうです。
本作は、高校生の男女4人が、サッカーや美術、詩などを通して、それぞれの葛藤を抱えながら、高校生活を送っていくという、シンプルな話です。
男性2人はどちらも美男で、勉強もできてスポーツもでき、芸術にも長けているという、弱点が見当たらない高校生です。友達が書いた日記を読んで涙を流してしまいます。
選考委員の中村文則さんは、
主に四人の男女が出てくるが、その関係性から生まれてくるものが弱く、テーマも出来事も弱く、小説を書く上でもっとも大切なところが書かれていない。雰囲気で乗り切ろうとしている。受賞にはまだ早く、推せなかった。
と、辛辣です。
中村さんは、青野さんの作品を過去2回読んだことがあるそうです。それはつまり、青野さんは最終選考に少なくとも3度は選ばれているわけですので、実力ある書き手なのは確かでしょう。
東浩紀さんは、
評者は本作の魅力が理解できない。しかし理解できないのは評者の能力不足が原因かもしれない。その可能性があるので受賞は妨げない。
と言います。理解できないものをダメと跳ね返すのでなく、自身の能力不足として、受賞に反対しない点に、選考委員としての魅力を感じました。
川上未映子さんは、
登場人物が四人必要だったとは思えず、葛藤の種類が同質すぎて、それが狙いであったとしても奏功していないように思えた。
と言う一方で、
ここには表れていない文章のポテンシャルを感じさせる何かが存在しており、それが気になった。
と、選考委員にもわからない何かが、本作にはあるのでしょう。
円城塔さんも積極的に受賞に賛成しているわけではありませんが、
選考会後もっとも気になり続けているのが本作であるのも確かである。
と、言語化されていない(できない)何かが、本作にはありそうです。
中村さんだけが明確に受賞に至らないと判断していて、他の選考委員は受賞に積極的には賛成しないが反対もしないという立ち位置なのでしょう。
理解できない部分や、隠れた何かが存在する可能性を加味した受賞だと思います。
唯一、受賞作に推した長嶋有さんは、本作の何を評価したのでしょうか。
描写がいいのだ。(中略)こんな分かりやすく奇麗にテキスト化されたサッカーの描写を僕は読んだことがない。
単線上の表現である文章の世界で、サーモグラフでみせられるように恥ずかしさの上昇が伝わってくる。
「気持ち」の「層」までみつめ、精確に刻む。
若者のふるまいや内面が、何十年後にめくっても立ち現れる、これはただの(だがきわめて優れた)スケッチだ。
長嶋さんは描写や心象を評価しているようです。
確かに本作の描写は巧みで、ありありと目に浮かびます。
一方で、優れている点は描写だけと言えるかもしれません。
長嶋さんは、
文学的葛藤や煩悶もごく薄味だが、別に構わない
と言い切っています。
読み心地はいいのですが、読んだ後に残るものを、私は感じられませんでした。
私にとって読んだ後に残るものは、葛藤や煩悶の延長にある気がします。読んだ後に残るものがあると、その小説を読んで良かったと思えます。
本作の「きわめて優れたスケッチ」を読んでも、その間は心地良いのですが、読み終わった瞬間、描かれた世界と切り離されてしまって、その世界とは無関係と思えてしまうのです。
中村さんは、
なぜ小説を書きたいのか、書くことにおいて、生きることにおいて、この世界において、自分の最大の関心と問題は一体何かを、その根本的なことを一度考えるといいのではないだろうか。
と言います。
作家の最大の関心と問題が書かれていると感じる小説を読むと圧倒されます。中村さんは、その部分を新人に期待しているのでしょう。
本作について、私は結局のところ、何でもできる高校生の欠点のなさが鼻につき、魅力を感じなかっただけかもしれません。