女子高生の匂いで元気をもらう
「狭間の者たち」とは誰のことでしょう。
主人公は該当しそうです。
主人公は、保険の営業をする店で、店長をしています。
営業成績は、エリアの店舗の中で、下位に位置します。
年下のエリアマネージャーから指導されてしまいます。
家には妻と0歳の娘がいますが、関係が良いとは言えません。
主人公には元気がありません。
元気のない主人公は、通勤電車で一緒の女子高生から、元気をもらってます。
具体的な接触はありません。
主人公が、女子高生の匂いを密かにかいで、元気をもらってます。
彼女は自分を避けたことがない。彼女は自分を許してくれているのだ。
主人公が「許してくれている」と判断したのは、女子高生が主人公以外に抵抗する素振りを見せるときがあるからです。
スマホから顔を上げて相手を凝視するといった些細な抵抗が多いが、時には一駅で降りてしまう場合もある。
主人公への抵抗はないので、彼女に許されていると思ってるわけです。
主人公は、女子高生のことを「彼女」と表してます。
ガールフレンドという意味ではなく、sheの意味でしょう。
主人公は、同じ彼女を盗撮してる作業服の男を見つけました。
主人公に気付いた作業服の男は、撮影をやめて、動画を削除します。
作業服の男が撮影してた証拠は消えました。
別の日、主人公の手が女子高生の身体に触れそうになると、作業服の男が主人公の手をつかみました。
触ったら、ガチでアウトです
と作業服の男は言います。
触ったらガチでアウト。触らなければ、ギリセーフ?
主人公は、作業服の男と話すようになります。
タイトルは「狭間の者たち」ではなく、「狭間の者たちへ」です。
「狭間の者たち」だと、
- 主人公(痴漢かどうか、DVかどうか)
- 主人公の妻(離婚かどうか)
- 作業服の男(痴漢かどうか)
を示してると言えます。
作業服の男は、女子高生を撮影してました。
それにSNSで女子高生を特定し、居場所を突き止めました。
しかし、「狭間の者たちへ」だと、印象が異なります。
「狭間の者」である読者たちへ、という印象があります。
著者から「狭間の者である」読者へ、向けられてる感じです。
明るい作品ではありませんが、何かしら自分の危うさに気づくかもしれません。
女子高生の匂いをかいで元気をもらうのはおかしいとは思いつつ、もしかしたら自分にもそんな部分があるのかもしれないと、思い返す機会にはなりそうです。
主人公が、女子高生の匂いで元気にならざるを得なかった状況があるように、作業服の男にも、盗撮せざるを得なかった状況があるのだと思います。
自分は、男のことをほとんど何も知らない。どうしてだろう。どうしてこの男は女性を無断で撮るようなことを始めたのだろう。教えてくれない。年齢も出身地も。
犯罪が明るみになっても、犯罪に至った人間の心理までは正確にわかりません。
主人公は元気が必要だから、元気を得るために、女子高生の匂いをかぎました。
意味不明ですし、理由になっていませんが、元気がないから元気がほしいという主人公の気持ちは、わかります。
- 元気を失う状況(仕事、家庭環境)の改善
- 元気を得る方法(女子高生の匂いをかぐ)の改善
状況が悪いにしても、方法がいけないにしても、改善は必要だったと思います。
例えば、作業服の男との交流です。
主人公は、作業服の男に会ってから、女子高生の匂いをかぐことに熱量を感じなくなりました。
作業服の男に彼女に会えたということを伝えたいがために、彼女の後ろに立ったという気がした。
匂いをかぐのは、作業服の男に伝えるためにもなってるわけです。
主人公は、仕事でも家庭でも、うまく交流ができてません。
女子高生の匂いをかぐことは、交流ではありません。
人との交流がうまく図れれば、状況は変わってたのかもしれません。