いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『Blue』川野芽生(著)の感想【トランスジェンダーの物語】(芥川賞候補)

トランスジェンダーの物語

本作は、特集「トランスジェンダーの物語」として、『すばる』に掲載されました。

トランスジェンダーとは、

生まれつきの身体的性別と、自分が認識する性別(性自認、ジェンダー・アイデンティティ)が異なる人々の総称。(日本大百科全書(ニッポニカ))

  • 主人公の身体的性別:男性
  • 主人公の認識する性別:女性

主人公は、男子の少ない高校に進学し、誘われて演劇部に入ります。

演劇部では、童話「人魚姫」を下敷きにした、「姫と人魚姫」を上演します。

その劇で、主人公はヒロインである人魚姫を演じます。

自分は、ヒロイン役を勝ち取って、証明したかったのだ自分が<女の子>であることを文句のつけようのない、完璧な<女の子>であることを、認めさせたかったのだと思う

自他ともに<女の子>であることを認めさせたい。

それが主人公の願いであり、目標だったのだと思います。

どちらの性別の性器も別に要らないが、あったところでそれが自分を決定するとは思わない

(中略)ただ女性として――あるいは男性でないものとして生活できればそれでいいただ「男の出来損ない」とか「偽物の女」と見なされるのは耐え難い

女性に見えるために、主人公は見た目を重視します。

一方、戸籍上の性別の問題があります。

戸籍上の性別を変更するには、性別適合手術が必須でした。

主人公は高校卒業後、性別適合手術を受けるために、お金を貯める必要がありました。

就職活動が始まる前までに200万円必要でした。

トランスジェンダーは就職に際して差別を受けることが多い

主人公の手術に両親は反対したので、両親を頼ることはできません。

都市部で一人暮らしをしながら、2年間で200万貯めなければ手術はできません。

大学生活が始まる直前に、パンデミックが起きた

大学の授業はリモートになり、バイトを探すどころではなくなりました。

「不要不急」の医療行為の多くがストップした

主人公は病院に通うことができなくなりました。

背はみるみる伸びて、声は低くなった顎にはまばらに髭が生え出して、剃るたびに肌がざらついていった

主人公は、「男が女装している」ようにしか見えなくなります。

高校卒業以来、3年ぶりに演劇部の同級生と会うことになります。

同級生たちは、男の姿をしている主人公を見ます。

主人公は言います。

女の子として生きようすることをやめちゃった今はね、男のふりしてるでもそうやってふりしてるうちに、自分のことほんとうに男だって思い込めないかなって、思ってる

主人公は、通称名を名乗っています。

  • 戸籍名:正雄(まさお)
  • 通称名:眞靑(まさお)

眞靑は「真っ青(まっさお)」の旧字です。

真っ青=Blue

タイトルの意味にも当てはまります。

他にもBlueは、映画「ムーンライト」を引き合いにして、出てきます。

黒人が<ブラック>なのは太陽の光の下だけで、それはひとつの見方、ひとつの呼び方に過ぎない月の光では黒人の肌は青いだから<ブラック>ではなく<ブルー>と呼ぼう

主人公もそれにならって、眞靑と、自分に名前を付けます。

自分に名前を付けたからといって、男だと認めることは難しいでしょう。

主人公はこれから、

  • 男として生きていくのか
  • ホルモン治療を再開し、性別適合手術を受けるのか

おそらく後者だと思います。

主人公が「男だって思い込めないかな」と決めた理由には、金銭的理由もありますが、他者の存在がありました。

他者とは、葉月という女性です。葉月と主人公は、大学のオンライン授業で一緒になりました。

主人公にとって、葉月は彼氏から束縛されている存在で、助けてあげたい存在です。

しかし、葉月は主人公に助けられたいとは思っていません。

葉月が自分を必要としていたのではなく、自分が葉月を必要としていたのだと、(中略)自分の生き方を、自分で選んだのだと思い込むために、他者が必要だったのだと

主人公は、男として生きることを自分で選んだと思い込むために、他者が必要でした。

葉月がいなくなったら、どうするか。

  • 男として生きるために、葉月の代わりとなる存在を見つける
  • 思い込む必要のない生き方を選ぶ

人魚姫が姫をどう思っていたかについて、演劇部の仲間の一人は「憐れみ」と言います。

主人公が葉月に対して抱いていた感情に「憐れみ」も含まれていたでしょう。

彼氏に束縛されて可哀そうな存在。だから自分が男として助けてあげなければ。

救いの手を差し伸べたつもりが、相手にはそのつもりはありませんでした。

その救いの手は、自分を救うために差し伸べた手でもありました。

葉月と会う前の主人公の考えは違いました。

自分が女性であるのか男性であるのかが、誰と<異性>になり、誰と<同性>になるのか――誰とは友達になれて、誰とは恋人になる可能性があるのかを意味するなんておかしい

その考えの主人公が、他者を救う(葉月と恋人になる)という名目で、男性を選びます。

もう、思い込む必要のない生き方を選んだほうがいいのに、とは思います。

しかし、思い込む必要のない生き方であっても、他者は必要だと感じてしまいます。

主人公が演劇部の仲間に救われたように。