トランスジェンダーの物語
本作は、特集「トランスジェンダーの物語」として、『すばる』に掲載されました。
トランスジェンダーとは、
生まれつきの身体的性別と、自分が認識する性別(性自認、ジェンダー・アイデンティティ)が異なる人々の総称。(日本大百科全書(ニッポニカ))
- 主人公の身体的性別:男性
- 主人公の認識する性別:女性
主人公は、男子の少ない高校に進学し、誘われて演劇部に入ります。
演劇部では、童話「人魚姫」を下敷きにした、「姫と人魚姫」を上演します。
その劇で、主人公はヒロインである人魚姫を演じます。
自分は、ヒロイン役を勝ち取って、証明したかったのだ。自分が<女の子>であることを。文句のつけようのない、完璧な<女の子>であることを、認めさせたかったのだと思う。
自他ともに<女の子>であることを認めさせたい。
それが主人公の願いであり、目標だったのだと思います。
どちらの性別の性器も別に要らないが、あったところでそれが自分を決定するとは思わない。
(中略)ただ女性として――あるいは男性でないものとして生活できればそれでいい。ただ「男の出来損ない」とか「偽物の女」と見なされるのは耐え難い。
女性に見えるために、主人公は見た目を重視します。
一方、戸籍上の性別の問題があります。
戸籍上の性別を変更するには、性別適合手術が必須でした。
主人公は高校卒業後、性別適合手術を受けるために、お金を貯める必要がありました。
就職活動が始まる前までに200万円必要でした。
トランスジェンダーは就職に際して差別を受けることが多い。
主人公の手術に両親は反対したので、両親を頼ることはできません。
都市部で一人暮らしをしながら、2年間で200万貯めなければ手術はできません。
大学生活が始まる直前に、パンデミックが起きた。
大学の授業はリモートになり、バイトを探すどころではなくなりました。
「不要不急」の医療行為の多くがストップした。
主人公は病院に通うことができなくなりました。
背はみるみる伸びて、声は低くなった。顎にはまばらに髭が生え出して、剃るたびに肌がざらついていった。
主人公は、「男が女装している」ようにしか見えなくなります。
高校卒業以来、3年ぶりに演劇部の同級生と会うことになります。
同級生たちは、男の姿をしている主人公を見ます。
主人公は言います。
女の子として生きようすることをやめちゃった。今はね、男のふりしてる。でもそうやってふりしてるうちに、自分のことほんとうに男だって思い込めないかなって、思ってる
主人公は、通称名を名乗っています。
- 戸籍名:正雄(まさお)
- 通称名:眞靑(まさお)
眞靑は「真っ青(まっさお)」の旧字です。
真っ青=Blue
タイトルの意味にも当てはまります。
他にもBlueは、映画「ムーンライト」を引き合いにして、出てきます。
黒人が<ブラック>なのは太陽の光の下だけで、それはひとつの見方、ひとつの呼び方に過ぎない。月の光では黒人の肌は青い。だから<ブラック>ではなく<ブルー>と呼ぼう。
主人公もそれにならって、眞靑と、自分に名前を付けます。
自分に名前を付けたからといって、男だと認めることは難しいでしょう。
主人公はこれから、
- 男として生きていくのか
- ホルモン治療を再開し、性別適合手術を受けるのか
おそらく後者だと思います。
主人公が「男だって思い込めないかな」と決めた理由には、金銭的理由もありますが、他者の存在がありました。
他者とは、葉月という女性です。葉月と主人公は、大学のオンライン授業で一緒になりました。
主人公にとって、葉月は彼氏から束縛されている存在で、助けてあげたい存在です。
しかし、葉月は主人公に助けられたいとは思っていません。
葉月が自分を必要としていたのではなく、自分が葉月を必要としていたのだと、(中略)自分の生き方を、自分で選んだのだと思い込むために、他者が必要だったのだと。
主人公は、男として生きることを自分で選んだと思い込むために、他者が必要でした。
葉月がいなくなったら、どうするか。
- 男として生きるために、葉月の代わりとなる存在を見つける
- 思い込む必要のない生き方を選ぶ
人魚姫が姫をどう思っていたかについて、演劇部の仲間の一人は「憐れみ」と言います。
主人公が葉月に対して抱いていた感情に「憐れみ」も含まれていたでしょう。
彼氏に束縛されて可哀そうな存在。だから自分が男として助けてあげなければ。
救いの手を差し伸べたつもりが、相手にはそのつもりはありませんでした。
その救いの手は、自分を救うために差し伸べた手でもありました。
葉月と会う前の主人公の考えは違いました。
自分が女性であるのか男性であるのかが、誰と<異性>になり、誰と<同性>になるのか――誰とは友達になれて、誰とは恋人になる可能性があるのかを意味するなんておかしい
その考えの主人公が、他者を救う(葉月と恋人になる)という名目で、男性を選びます。
もう、思い込む必要のない生き方を選んだほうがいいのに、とは思います。
しかし、思い込む必要のない生き方であっても、他者は必要だと感じてしまいます。
主人公が演劇部の仲間に救われたように。