傷つくべきときに十分に傷つかなかったら
『女のいない男たち』という短編集に収録されている一作です。
短編集のまえがきで、村上春樹さんは、『木野』について書いています。
『木野』は推敲に思いのほか時間がかかったということもある。これは僕にとっては仕上げるのがとてもむずかしい小説だった。何度も何度も細かく書き直した。ほかのものはだいたいすらすらと書けたのだけど。
村上さんほどのベテランが、仕上げるのがむずかしい小説とはどのようなものか、気になりました。
主人公は、17年勤めていた会社を辞めます。
妻が、主人公の同僚と浮気していたからです。
主人公は、浮気現場を目撃してしまい、そのまま家を出ます。
主人公は、伯母のカフェを改装し、バーを始めます。バーの名前は「木野」、主人公の名前も「木野」です。
バーのまわりで蛇を見かけるようになります。一週間に3匹の蛇を見ます。
伯母に連絡しますが、近くで蛇を見たことはないと言います。
主人公は、常連客の男性から、バーを閉めてしばらく遠くへ行くよう言われます。
その常連客は、伯母の知り合いでした。
常連客の男は言います。
木野さんは自分から進んで間違ったことができるような人ではありません。(中略)しかし正しからざることをしないでいるだけでは足りないことも、この世界にはあるのです。
主人公は、「正しくないことをしたからではなく、正しいことをしなかったから、重大な問題が生じた」と理解します。
常連客の男に言われるがまま、主人公は、四国へ行き、九州へ行きます。
その道中、主人公は「正しいことが何だったのか」を考えますが、答えにたどり着くことはできません。
ある夜、主人公は、ホテルのドアをノックする音を聞きます。
主人公にはノックの主が誰なのかわかります。妻との別れのときを思い出します。
おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。
主人公は、浮気されたときにもっと傷つくべきだったと思い返します。
痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。蛇たちはその場所を手に入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓をそこに隠そうとしている。
主人公は、傷つくべきときに傷つかなかった結果、「中身のない虚ろな心」を持つことになりました。
蛇たちは、主人公の「中身のない虚ろな心」に自らの心臓を隠そうとしたため、バーの周りにいたのでしょう。
ホテルのドアをノックしているのは、蛇たちだと私は考えます。
上記引用から、蛇たちは、中身のない虚ろな心(=その場所=そこ)に心臓を隠そうとしているからです。
なぜ、蛇たちが、中身のない虚ろな心に心臓を隠そうとしているのかは不明ですが、隠そうとしているのは確かです。
どれほど虚ろなものであれ、これは今でもまだおれの心なのだ、(中略)今はまだ、どこかわけのわからないところにその心を彷徨い行かせるわけにはいかない。
主人公は、虚ろな心であっても、奪われるわけにはいきません。
主人公は、傷つくべきときに十分傷つくべきだったのでしょうか。
浮気された主人公が十分に傷つかず、バーの経営を始めたのが、「正しいことをしなかったこと」なのでしょうか。
傷は、時間が癒していたでしょうし、中身のない虚ろな心も、時間の経過で回復していたと思います。
十分に傷つかなかったこと(=正しいことをしなかったこと)を理由に、どうして自分の店まで奪われなくてはいけないのでしょう。
傷ついていることを相手に伝えないまでも、傷ついた事実に、自分だけは向き合うことが必要だと教えてくれる作品でした。