いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『くるまの娘』宇佐見りん(著)の感想①【車で生活する女子高生】(野間文芸新人賞候補)

車で生活する女子高生

  • かか』(文藝賞受賞、三島賞受賞、野間文芸新人賞候補)
  • 推し、燃ゆ』(芥川賞受賞)

に続き、著者の3作目です。

出す作品すべて、何かしらの賞にノミネートされており、相当な実力です。

初めて宇佐見さんの作品を読む方なら、文章力や構成に驚かれるかもしれません。

過去2作読んでいる私からすると、「またこれか」と思わずにはいられませんでした。

文章力は健在なのですが、登場人物や物語の構成要素の使いまわし感が拭えません。

  • 同じような主人公(若い女性)
  • 同じような病気(発達障害、精神障害)
  • 同じような家族の物語(家族崩壊)

ネタがないのかと思ってしまいました。

『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞したとき、選評で山田詠美さんが、

次は、大人同士の話が読みたいです

と書いていました。同感です。

ただ、同じような女子学生の家族の物語でも売れるし、賞にノミネートされていますから、この路線で間違っていないとも言えます。

女子高生の主人公は、父、母、弟と車中泊をします

兄は結婚し、妻とビジネスホテルに泊まりました。

車中泊から帰った主人公は、家ではなく車で過ごすようになります

「くるまの娘」とは、車で生活する主人公のことです

良かったのは、家族同士の喧嘩の後、記憶がうやむやになるところです。

誰々が悪い誰々のせいだとそれぞれに別のことを記憶して、眠るまで過ごした。そしてそれぞれに怒りを、かなしみを、腹にためて泣き寝入りするせいで、腹のなかで何年も熟成してしまう。同じ家にいながら熟成されたもののあまりの違いに、腹からその「歴史」を少しでも取り出すたびに誰かがひどく傷つく

家族同士だけでなく、旧友や、かつての同僚同士にも当てはまると感じました。

例えば、旧友やかつて同僚と久しぶりに再会したとき、「あのときのあの件、本当は嫌だった」と、もう時効とばかりに話をしたり、されたりする経験を思い出しました。

話をしている側は、過去の相手を強く批判しているわけではないでしょう。

当時言えなかった本音を、時間の経過を使って、相手に伝えたかっただけです。もしかしたら笑い話の一つとして。

しかし、伝えられた相手の気分は、良くないでしょう。批判された気になっているかもしれません。

「なんでそのとき言わなかったんだ」「そういう意図ではなかったのに」などと、喧嘩や我慢の種になりかねません。

家族は長い間一緒にいますから、

  • 喧嘩
  • 我慢
  • 記憶を自分の都合の良いように解釈

が必然と多くなります。

主人公の兄は家を出ました。弟も家を出て、祖父母と暮らしています

主人公は家を出ません

どうしようもない地獄のなかに家の者を置きざりにすることが、自分のこととまったく同列に痛いのだということが、大人には伝わらないのだろうか

主人公は自らの家庭環境を「どうしようもない地獄」と表現していますから、良いとは思っていません。

主人公の母は、脳梗塞の手術後、精神的におかしくなります。父は、主人公を怒鳴りつけます。

周りの大人が家を出るよう勧めるのもわかります。

しかし主人公は家を出ません。

愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった背負って、ともに地獄を抜け出したかった。

愛されなかった人間や傷ついた人間とは、主人公の父であり、母です。

主人公が捨てたいのは、父や母ではなく、

もつれ合いながら脱しようともがくさまを「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが、数多自立しているこの世

でした。主人公は、この世から消えなければいけない気すらしています。

外部の目から見れば、劣悪な家庭環境から逃げろと言いたくなるでしょう。

言うのは簡単です。実際に行うのは難しい。

逃げたくても逃げられない、のではなく、劣悪な家庭環境から逃げたいわけではない感覚を言語化している点が、主人公には全く共感できないのですが、良かったです。

主人公が、家の中に居続けるのではなく、家の外に出て行くのでもなく、間ともいえる車の中を選ぶのが、適切な距離に感じました。

くるまの娘

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感想②はこちらです。