選評を読んで
主人公は女子高生で、
- 母は不妊症
- 父は母の再婚相手
物語でありそうな家族ものです。
選考委員の柴崎由香さんは、
全般に、語り手や中心となる人物が狭い範囲から出ることがなく、小説の深層で揺らぎが起きにくかったのではないか。
「全般に」と言っているので、最終選考の作品全体のことですが、本作も該当するでしょう。
柴崎さんの狭い範囲とは、
- 物理的な範囲(自宅周辺で物語が簡潔)だけでなく、
- 人間関係(家族、学校の友人)、登場人物の考え方
にも及ぶと思いました。
「小説の深層で揺らぎが起きにくい」とはどういうことでしょうか。
柴崎さんは、
どの人物の行動や在り方にも誰もが納得する理由があることがひっかかった。
(中略)書いていく中でしか出てこない何か、はっきりとはまだわからなくても先を読んでみたい何かがあればよりよかったという思いは選考会を経ても変わらなかった
確かに、本作で破綻を感じませんでした。
私にとっての「先を読んでみたい何か」は、群像新人賞の受賞作だったからです。
受賞作でなかったら、途中で読むのをやめたでしょう。
島田雅彦さんは、
最後まで読者を引っ張る力量は認めなければならない。
と評価しています。プロから見たら、読者を引っ張る力量があるのでしょう。
『ジューンドロップ』は今回の候補作五編の中では最もリーダビリティが高い。いい換えれば、通俗に流れるギリギリの綱渡りをしている作品である。
ここでの「リーダビリティが高い」は、文章が読みやすいという意味ではなさそうです。
「通俗に流れるギリギリの綱渡り」と言い換えているからです。
読みやすさではなく、読者を導く描写の正確さや、情景の目に浮かびやすさを言っているのだと思いました。
私にとっては、丁寧に描写された文章が、難解に感じたわけです。
主人公は、「あなた」に語りかけます。
「あなた」が誰なのか、最後まで明らかにされません。
最後に「あなた」が誰かがわかったとき、途中からなんとなくそんな気がしたというか、まあそうですよねって感じになりました。
町田康さんは、
思わせぶりな叙述によって数行分の関心を持たせる手つきに疑問を抱いた。その効果はなにもなくて、ただただすべてを知る作者が読者に負荷を与えているようにしか感じられなかったからである。
確かに、読んでいて負荷を感じました。それゆえに、途中で読むのをやめようとしたわけです。
松浦理英子さんは、
語り手が知っていることを読者に対してはあるところまで伏せておくという書き方は、謎をかけて気を惹くという身振りであって姑息だし、作者の読者に対する権力行使であると考えるので私は好きではない
と、町田さんと同様のことを言っています。
一人称の主人公の語りで、重要なことを読者に伏せる書き方は、好まれないのでしょう。
私も好きではありません。最初から言っておいてよ、と思うからです。
では、どこが評価されて受賞したのでしょうか。
柴崎さんは、
心情や情景の描き方が丁寧で、細かな表現にも惹かれるところがあり、構成など完成度が高かった。
島田さんは、
作品に宿る強い牽引力は全編を通して、語り手の痛切な心情が通奏低音になっていて、そこに確かな手応えを感じさせたからにほかならない。
松浦さんは、
妊娠出産に失敗してこんなに苦しむのは夫の子供がほしいという単純な理由からだけではなく、世の中の<子を持つことこそが愛や幸福の証である>という固定観念に強く影響されているためでもある、というところまで照らし出している。
評価されている上記について、私は理解できませんでした。
「語り手の痛切な心情が通奏低音」になってるとは感じませんでしたし、「母の苦しみが世の中の固定観念に強く影響されているためでもある」とはわかりませんでした。
私が読み取れてないのですが、読み取るために再読しようとは今は思えません。
『もぬけの考察』の単独受賞で良いと思ってしまいました。