いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『大家さんと僕 これから』矢部太郎(著)の感想【血のつながらない親族】

血のつながらない親族

前作『大家さんと僕』の続編です。

『大家さんと僕』の感想はこちらです。

冒頭の、大家さんと僕の人物紹介に、

  • 大家さん:知的なイケメンがタイプ
  • 僕:大家さんとの日々を漫画にしたら思わぬ大ヒットに

とあります。前作の人物紹介にはありませんでした。

大家さんは羽生結弦選手が好きで、静かにテレビ観戦をします。僕が羽生選手の演技で感嘆の声を漏らすと、大家さんが「しっ」と注意するほどです。

僕は前作『大家さんと僕』で力を出し切ったのですが、出版社から連載の打診を受けます。

僕はもう今の大家さんと僕の話を描くことは出来ない

と思っているため、断ります。

『大家さんと僕』を読んだ先輩から、続きはいつ出るのかと聞かれます。僕が「これ以上のものは書けない」と話すと、先輩から、

これからは大家さんのために描いたら

とアドバイスを受けます。

僕が大家さんに、「描いたら…読んでくれますか」と聞くと、

描いて

と言われます。「読むよ」ではなく「描いて」。描くしかありませんね。

今作は、前作以上に矢部さんの漫画の技術の高さを感じました

例えば、

  1. 表向きの会話を描く裏で、僕の心情を描く
  2. 心情を描いた方が伝わりそうなところを、絵だけのコマで描く
  3. 授賞式のとき、僕の隣で見守る幻想の大家さんを描く

です。

1.表向きの会話を描く裏で、僕の心情を描くについて。

大家さんと「小さくて良かったこと」について話しているとき、僕は「子供と間違われてお年玉をもらえたこと」を話すのですが、内面では、

ちいさくて よかったことは 大家さんと話が合って 仲良くなれたことです

と心情を描いています。

2.心情を描いた方が伝わりそうなところを、絵だけのコマで描くについて。

病院に入院した大家さんを車いすに乗せて、近所を散歩していると、大家さんの頼みで大家さんの家の前に来ます。

大家さんは、まじまじと自分の家を見上げます言葉を発しません。「帰りたいな」と言ったり、「もう帰れないかもな」と言ったりはしません。大家さんの心情を察した僕の言葉もありません大家さんと僕が家を見上げている背景を、遠くから描いています

3.授賞式のとき、僕の隣で見守る幻想の大家さんを描くについて。

手塚治虫文化賞を受賞した僕は、授賞式に向かうときから緊張しています。大家さんは入院しているはずなのに、正装し、僕を送迎する車に乗っています

大家さんは、

いつもの矢部さんでいいんですよ

と励ましつつ、

皆さん見てるからしっかりね

と引き締めます。

スピーチの壇上にも大家さんはいます。僕が大家さんと会話していると、大家さんは

皆さんにお話ししないと

と僕にスピーチを促します。

授賞式が終わり、二次会を断った僕は、入院している大家さんにトロフィーを渡します。正装して僕の隣にいた大家さんは、幻想だったとわかるのですが、大家さんはずっと僕を見守っていたのでしょう。見守ってくれていたと僕が感じるから、幻想として描いているのだと思いました。

大家さんの幻想を、普段の服装でも、入院時の服装でもなく、正装にしている点に、矢部さんの技術の高さを感じました。

何よりも、大家さんの死を直接描いていないのが良いです。

  • 大家さんが亡くなったショック
  • 大家さんが亡くなった後の茫然自失

を描いていません。それらは存在するはずなのにです。

大家さんは、僕のことを、

血のつながらない親族

と言いました。

悲しみに暮れる僕や周りの人を描くことで、読者の涙を誘うことはできるでしょう。大家さんの死で、僕は深い喪失感を抱いたと想像できます。一番悲しいはずなのに、それを描かないという選択。悲しいときに涙を描かない作家を私は信頼します。

二作目は一作目より難しいでしょうが、『大家さんと僕』について言えば、私は二作目の方が好きです。