血のつながらない親族
前作『大家さんと僕』の続編です。
『大家さんと僕』の感想はこちらです。
冒頭の、大家さんと僕の人物紹介に、
- 大家さん:知的なイケメンがタイプ
- 僕:大家さんとの日々を漫画にしたら思わぬ大ヒットに
とあります。前作の人物紹介にはありませんでした。
大家さんは羽生結弦選手が好きで、静かにテレビ観戦をします。僕が羽生選手の演技で感嘆の声を漏らすと、大家さんが「しっ」と注意するほどです。
僕は前作『大家さんと僕』で力を出し切ったのですが、出版社から連載の打診を受けます。
僕はもう今の大家さんと僕の話を描くことは出来ない
と思っているため、断ります。
『大家さんと僕』を読んだ先輩から、続きはいつ出るのかと聞かれます。僕が「これ以上のものは書けない」と話すと、先輩から、
これからは大家さんのために描いたら
とアドバイスを受けます。
僕が大家さんに、「描いたら…読んでくれますか」と聞くと、
描いて
と言われます。「読むよ」ではなく「描いて」。描くしかありませんね。
今作は、前作以上に矢部さんの漫画の技術の高さを感じました。
例えば、
- 表向きの会話を描く裏で、僕の心情を描く
- 心情を描いた方が伝わりそうなところを、絵だけのコマで描く
- 授賞式のとき、僕の隣で見守る幻想の大家さんを描く
です。
1.表向きの会話を描く裏で、僕の心情を描くについて。
大家さんと「小さくて良かったこと」について話しているとき、僕は「子供と間違われてお年玉をもらえたこと」を話すのですが、内面では、
ちいさくて よかったことは 大家さんと話が合って 仲良くなれたことです
と心情を描いています。
2.心情を描いた方が伝わりそうなところを、絵だけのコマで描くについて。
病院に入院した大家さんを車いすに乗せて、近所を散歩していると、大家さんの頼みで大家さんの家の前に来ます。
大家さんは、まじまじと自分の家を見上げます。言葉を発しません。「帰りたいな」と言ったり、「もう帰れないかもな」と言ったりはしません。大家さんの心情を察した僕の言葉もありません。大家さんと僕が家を見上げている背景を、遠くから描いています。
3.授賞式のとき、僕の隣で見守る幻想の大家さんを描くについて。
手塚治虫文化賞を受賞した僕は、授賞式に向かうときから緊張しています。大家さんは入院しているはずなのに、正装し、僕を送迎する車に乗っています。
大家さんは、
いつもの矢部さんでいいんですよ
と励ましつつ、
皆さん見てるからしっかりね
と引き締めます。
スピーチの壇上にも大家さんはいます。僕が大家さんと会話していると、大家さんは
皆さんにお話ししないと
と僕にスピーチを促します。
授賞式が終わり、二次会を断った僕は、入院している大家さんにトロフィーを渡します。正装して僕の隣にいた大家さんは、幻想だったとわかるのですが、大家さんはずっと僕を見守っていたのでしょう。見守ってくれていたと僕が感じるから、幻想として描いているのだと思いました。
大家さんの幻想を、普段の服装でも、入院時の服装でもなく、正装にしている点に、矢部さんの技術の高さを感じました。
何よりも、大家さんの死を直接描いていないのが良いです。
- 大家さんが亡くなったショック
- 大家さんが亡くなった後の茫然自失
を描いていません。それらは存在するはずなのにです。
大家さんは、僕のことを、
血のつながらない親族
と言いました。
悲しみに暮れる僕や周りの人を描くことで、読者の涙を誘うことはできるでしょう。大家さんの死で、僕は深い喪失感を抱いたと想像できます。一番悲しいはずなのに、それを描かないという選択。悲しいときに涙を描かない作家を私は信頼します。
二作目は一作目より難しいでしょうが、『大家さんと僕』について言えば、私は二作目の方が好きです。