いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『もぬけの考察』村雲菜月(著)の感想【選評を読んで】(群像新人賞受賞)

選評を読んで

舞台は、都会の賃貸マンションの一室です。

一人暮らし用の部屋で、入居者が頻繁に入れ替わります。

その部屋に住む人たちの生活が描かれます。

文章は読みやすく、最後まで一気に読めました。

「もぬけの考察」は、本作の一つの章のタイトルです。

「もぬけの殻になった部屋で考察する」という意味に、捉えました。

選考委員の柴崎由香さんは、

最後に「考察」の章が置かれ、さらに考察の説明として語られることで、都市伝説系怪談やオムニバスドラマの枠組みの踏襲に感じられた

「世にも奇妙な物語」や「本当にあった怖い話」のことでしょう。

確かに、ドラマの原作になり得ると思いました。

松浦理英子さんは、

選考委員の多くから「深夜のホラー・ドラマのよう」という感想が出たのは、実験性がまだまだ不徹底であることと、筆遣いに今一つ生々しさがないことが原因か

「実験性がまだまだ不徹底」だとは、私は感じませんでした。

それに、松浦の書き方では、「深夜のホラー・ドラマ」も実験性が不徹底と言っているように聞こえます。

「筆遣いに今一つ生々しさがない」とは、どの場面のどういうところか、具体的に知りたかったです。

最後に作品の絵解きのような章があるのは蛇足だし、実験が不徹底なことの言いわけのようにも思えて残念だった

最後の章(「もぬけの考察」の章)があること自体は、私は蛇足だと思いませんでした。

ただ、そこで描かれる内容(自分の描いた絵に吸収されてしまう)が、明らかに嘘だと感じます。

「ダウト」と心の中でつぶやいてしまうような。

最後の章が嘘に感じると、今までの話も嘘だったと思ってしまうのが、残念でした。

小説だから創作だし、嘘が悪いわけではありません。

しかし、嘘であっても、作品に本当らしさがないと、読者として、何を読んでるんだろうと思ってしまいます。

本作の冒頭、

初音の趣味は蜘蛛を飼い殺すことである

これは興味を惹かれます。どうやって飼い殺すのだろうと、続きを読みたくなります。

私は実体を失って私の描いた絵に吸収されてしまったようだった

これは嘘でしょう。なんでそんなに冷静なのかと、思ってしまいます。

絵に吸収された人間が考えるのは、どうやったら絵から抜け出せるかだと思います。

絵に吸収された焦りを、一切感じられません。

松浦さんの言う「筆遣いに今一つ生々しさがない」は、絵に吸収されている場面を言っているのかもしれません。

「生々しさ」を「本当らしさ」と読み替えたとしたら、この場面は、生々しさを感じませんでした。

町田康さんは、

読み終わった印象はもぬけで、心に何も残らなかったそれがよいのか悪いのかも考えられないそれほどになにも残らない

心に何も残らない作品が、よいわけはないと思いました。

私は面白かったです。読みやすかったですし。