装丁の女性に顔がない理由
感想①はこちらです。
装丁はこちら。
- 背後に、メリーゴーランド
- 手前に、制服を着た女性
メリーゴーランドは、作中、家族で訪れる遊園地にあります。
制服を着た女性は、女子高生の主人公でしょう。
メリーゴーランドの前に主人公が立っているのに、なぜ顔がないのでしょうか。
これは、主人公の母が見た光景だと思いました。
メリーゴーランドに固執した母の視点では、メリーゴーランドが全面に出ており、主人公の顔が見えなくなっています。
主人公は、母がなぜ、メリーゴーランドに固執しているか知っています。
居間にかざってある写真には、母が撮った、メリーゴーランドに乗る子どもたちと夫との写真があった。同じ構図の写真を撮りたいと母はずっと言っていた。この遊園地には、それを楽しみに来たといってもよいのだった。
メリーゴーランドが休止していると知った母は、泣き崩れます。
母は子どものように、人目をはばからず泣き叫びます。
本書のキャッチコピーになっている、
あの人たちは私の、親であり子どもなのだ。
は、まさにそのとおりです。
母は、遊園地の従業員に詰め寄り、メリーゴーランドをどうにかして動かせないのかと頼み込みます。
無理だとわかると、メリーゴーランドの前で、家族で写真だけ撮らせてもらうよう叫びます。
母は、周りが見えなくなっています。メリーゴーランドしか見えなくなっています。主人公の顔も見えません。
母に引っ張られた主人公は、メリーゴーランドに飛び乗ります。
主人公は家族を呼びますが、父は立ち尽くし、兄は力のない目で見ています。弟は、その場からいなくなっています。
「ピース!」母が言った。
(中略)馬から片手を離し、二本の指を立てた。笑顔をつくる。身体が熱かった。数多の視線に晒されていた。兄が、弟が、離れていく。
精神的におかしくなった母の味方は、主人公しかいません。
父も、兄も、弟も、母から離れていきます。
父や兄や弟の反応は、いたって普通です。
休止中のメリーゴーランドを動かせだの、写真撮らせろだの、そんな母に付き合い切れないでしょう。
しかし、主人公は肩入れします。
一度は、帰ろうと言いだしかけた主人公が、メリーゴーランドの前でピースをします。
装丁では、主人公のピースは描かれていません。
ピースをしている画でも良いと思いましたが、それだと、凛とした立ち姿が崩れるでしょう。
ピースがないことで、その場所に立つ覚悟が表れています。
「母は私の、親であり子どもなのだ。」と声が聞こえてくるようです。
母の目には、主人公の顔は映っていません。子どもが夢中になったとき、親の顔は見えません。