新宿御苑に建つ刑務所
「東京都同情塔」とは、新宿に建つ、新しい刑務所のことです。
正式名称は、「シンパシータワートーキョー」。
受刑者が服役する場所です。
塔は、スカイツリー、東京タワーに次ぐ高さの建物です。
建築家である主人公は、自問します。
本当に、建てられるべき塔なのか? この街が、世界が、必要としている塔なのだろうか?
どうせ誰かが建てなければいけないなら、自分がやるべきと、主人公は考えています。
「東京都同情塔」に住むのは、法律に違反した受刑者だけではありません。
同情に値すると認められれば、(中略)塔に住む権利はあります。罪を犯さざるを得ないほど不憫な生い立ちなら誰にでも。
AIによる同情テストで、同情に値すると認められれば、法律に違反しなくとも住むことができます。
塔では、優雅な生活を送れます。
ユニクロやH&MやZARAの服を着て、当然手錠につながれることもなく、本棚で本を選び、デスクで勉強をし、DVDを鑑賞するなど、思い思いに自由時間を満喫していた。
受刑者や同情に値する人間に、こんな生活を送らせていいのでしょうか。
家賃は塔外で労働する人々が税金で払ってくれる
いやいや、おかしいです。
塔を構想した者は言います。
私やあなたがこれまで「犯罪者」にならずに済んでいるのは、私やあなたが素晴らしい人格を持って生まれたからではありません。あなたの生まれた場所がたまたま、素晴らしい人格を育むことが可能な環境だったからです。
過酷な環境に生まれてたら、犯罪者になっていた可能性はある、ということでしょう。
「犯罪者」・「加害者」である以前に、「元被害者」であるケースが圧倒的に多いのです。
確かに、犯罪を起こす背景において、かつての被害者だった可能性はあるでしょう。
だからといって、都心の塔で優雅な暮らしをさせるというのは、私は納得がいきませんでした。
同情されるべきは加害者でなく被害者、という考えは変わりませんでした。
加害者となった瞬間、同情される余地はないと思いました。
しかし、「犯罪者は同情されるべき人々」という発想は、面白かったです。
もっと言えば、犯罪者は同情されるべきという発想に、価値観の揺らぎを感じたかったです。
「確かに犯罪者も同情されるべき人々だよな」という価値観の転換です。
本作は現実ではなく小説です。
小説だからこそ、「犯罪者は同情されるべき存在」に、もっとスポットを当ててほしかったです。
価値観を揺さぶるには、説得力が足りなかったです。
それに、塔の存在が非現実的だと思いました。
新宿御苑の中に、塔はあります。
塔の中に、「受刑者」や「同情に値する人間」がいます。
人々は手錠をつけず、自由に行動することができます。
「同情に値する人間」の中に、犯罪の被害者もいるのではないでしょうか。
被害者家族もいるかもしれません。
被害者や被害者家族は、「受刑者」と同じ場所にいることができるのでしょうか。
塔に住んでいるのは、
塔のルールを遵守する幸福な人々
だといいます。
塔のルールとは、
言葉は、他者と自分を幸福にするためにのみ、使用しなければなりません。
(中略)他者も自分も幸福にしない言葉は、すべて忘れなければなりません。
塔では、ルールへの強制力が強いのでしょう。
ですが、加害者と被害者が同じ場所にいたら、ルールなんて言ってる場合ではなさそうです。
言葉より先に、手が出てしまう気がしますが、どうなんでしょう。
塔で問題を起こした人間は、どこへ行くのでしょう。
塔に住んでいる人間の優雅な生活を、一般客は、ガラスを隔てて見ることができます。
一般客が見れるのだから、被害者や被害者家族も見ることができます。
コーヒーを飲みながら優雅に読書してる加害者を、被害者や被害者家族が見たら、正気ではいられない気がします。
塔の入居者の条件を、「同情に値する人間(受刑者を除く)」にしたら、印象は違ったかもしれません。
塔を作る人でもなく、塔を管理している人でもなく、塔に住んでいる人間模様が読みたかったです。