いじめを傍観する少年
主人公は、父の転勤で、転校を繰り返していました。
新しい土地に移り、新しい学校に慣れ、新しい友達を作るというのは、少年には荷が重い。
中学2年生のとき、飼育委員だった主人公は、鶏やウサギ、鯉の世話をします。
飼育小屋の掃除をしていると、叫び声が聞こえます。
体躯の大きな男子が、貧相な体つきの男子を、竹箒で小突いていた。
(中略)
竹箒で小突かれ続ける男子生徒の唇の端に血が滲んでいるのを認めて、初めて暴力を伴った虐めだと分かった。
その時間、校内からはモーツァルトの曲が流れています。
暴力は、ヴァイオリンとヴィオラによる、そのどこか忙しい旋律の中で行われ、だから私の瞳には、彼らの行為はどこか喜劇じみて映った。
主人公が掃除を終え、餌の詰め替えをしていると、
すぐ近くで、いじめを受けていた男子が、鼻歌を歌いながらウサギに葉を食べさせていいました。
鼻歌をきっかけに、二人は少し話しますが、何人かの男子生徒の声が聞こえたため、主人公は話を切り上げます。
全く違った形で出会っていたのなら、我々は友達になれたかもしれない。
いじめられている生徒と仲良くしていたら、自分もいじめられると思うでしょうから、仕方ありません。
いじめを傍観した少年がどうなるか、興味がある人におすすめです。
いじめの加害者も平凡な人間
お使いで酒屋に行った主人公は、いじめの加害者が、赤ちゃんの世話や店の手伝いをしている光景に出くわします。
主人公は、そんないじめの加害者を平凡な人間だとみなします。
彼が人を嬲ることに快を覚える異常な人間であるわけではなく、酒屋の手伝いをして、年の離れた弟の面倒を見る、平凡な人間であることを。(中略)少年期にちょっとやんちゃだった、どこにでもいる大人として、日常を過ごすだろう。
そして加害者は、いじめをした事実すら忘れてしまうのだと、主人公は思います。
なぜ主人公は、ここまでいじめを傍観しているのでしょうか。
自分がいじめられているわけでもないのに。
と、思っていると、浮いている一文がありました。
私の頭部には、少年期に負った、三十二針の醜い縫傷が残っている。
主人公もいじめられていたような記述です。
どこでできた傷かはわかりません。誰によるものかもわかりません。
いじめを詳細に見ていたのは、転校前にいじめられていたからかもしれません。
主人公は、いじめをする人間を「平凡」だとすることで、折り合いをつけたのでしょう。
大人になった主人公は、結婚し、子どもが生まれ、転勤のある仕事に転職します。
なぜ、転勤のある仕事を選んだのか。
主人公が苦しんできた道ですから、それだけは避けるべきだったのにと思いました。
調べた言葉
- 甲斐甲斐しい:きびきびと立ち働くさま
- 中庭:建物に取り囲まれる庭
- 渡り廊下:建物と建物との間をつなぐ廊下
- 天誅(てんちゅう):天罰