『わたしを離さないで』と似てるか
この作品を読み始めたとき、カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』に似てると思ってしまいました。
作品を、別の作品と比較するのは好きではありませんが、
「寿命が決まっている少年少女」
という設定が強烈だったため、そう思わざるを得ませんでした。
- 『約束のネバーランド』では食用のため、
- 『わたしを離さないで』では臓器提供のため、
少年少女の寿命が決まっています。
ただ、似ているのは設定であって、内容ではありません。
『約束のネバーランド』の主人公たちは、自分が鬼の食用であることを知らず、ママという保護責任者の女性に、愛情を注がれて育ちます。
しかし、食べられることに気づいた主人公たちは、施設から外の世界へ逃げ出します。
外の世界へ出ても、助かるわけではありませんでした。より過酷な現実が主人公たちを苦しめます。
外の世界には、人間を食べる「鬼」がいました。人間が安全に暮らすことはできません。
主人公の親友は、鬼を全滅させるべく、計画を立て、実行に移します。
ですが主人公は、鬼を全滅させたくはありませんでした。
主人公は、「鬼は人間を食べないと生きられないから食べているだけ」という考えのもと、鬼が人間を食べなくても済むようにしてから、食用の人間は「人間の世界」への移動を目指します。
主人公の、
「鬼を殺したくない」「でも誰も失いたくない」
という考えを、主人公自身は、
甘っちょいワガママ
だとわかっています。
私も、主人公の考えは甘いと思っていたので、自らの甘さを自覚した上で行動する主人公の強さや覚悟が伝わりました。
だからこそ、食用の人間を、鬼のいる世界から「人間の世界」に移すときの代償で、
もうにどとかぞくとはあえない
という条件を受け入れる主人公は、「甘っちょいワガママ」だけではありません。
食用の人間は、無事、人間の世界に行くことはできましたが、主人公は仲間とはぐれ、仲間との記憶も失います。
仲間は主人公を必死で探し、やっと見つけましたが、主人公は仲間との記憶を失っています。
当然、記憶を失っていることに、仲間は悲しみます。
ですが、親友だけは、
よかった……
とつぶやきます。
記憶がなくても君が生きていてよかった
と、涙を流して言います。
忘れてしまったっていいんだ
思い出せなくったって
今の君がかつての君と違ったっていい
だから……もう一度
いや何度でも
一緒に生きよう
と手を差し伸べます。
記憶を失うという代償は、あまりにも大きいです。
ですが、その代償を悲観せず、また記憶を一から積み上げればいいと即座に思える親友が素敵です。
「今のかつての君と違ったっていい」の発言に、今までの関係性と違っても構わないという親友の覚悟が現れています。
親友は、主人公の記憶がなくなっても、別人格になるとは思ってないでしょうし、主人公を心から愛しています。それは、恋愛感情とも友情とも違う、主人公の存在への愛情で、信仰に近しいものを感じました。
親友は、自分のためにも、仲間のためにも、主人公の今送っている生活を度外視して「一緒に生きよう」と言ったのだと思いました。