できるだけ本音で生きる
岡本太郎と聞いて、
- 太陽の塔(万博公園)
- 明日の神話(渋谷駅)
を思い浮かべる人は多いでしょう。
私はそれらの作品の良さはわかりません。むしろ、おどろおどろしく、子どもの頃に見ていたらトラウマものでしょう。ピカソのゲルニカのような、わけのわからなさがあります。
ただ、作品への姿勢には、参考にしたいところがありました。
岡本太郎さんがどんな人だったか、わかりやすく示している文章を抜粋します。
ぼくはまず芸術表現の上で、日本の通念とまったく反対な表現をうち出した。(中略)あらゆる問題について発言し、全身をぶつけて「ノー」と言った。まったく危険な道である。
端的に言えば、それでは収入は得られない。食えない。つまり生活できないということである。好かれる必要はない。売らないという前提で絵を描き、あらゆる面で権威主義にたてつき、いわば常識を超えて、人の言わないことをあえて言い、挑んだ。
自分の信念を貫けば、収入を得られなくても構わないというスタンスです。
では、収入を得られずにどんな貧乏生活をしていたかというと、貧乏エピソードは書かれていません。18歳でパリで生活しており、貧乏要素のかけらも感じられません。
夢に賭けても成功しないかもしれない。
(中略)
でも、失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人間の大部分の人々が成功しないのがふつうなんだ。
「失敗したっていいじゃないか」と、成功者である岡本さんが語っても、説得力に欠けます。「成功しないのがふつう」だから失敗してもいいと、私は吹っ切ることができません。
成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。
「夢が成就しない」=「夢に挑んで努力したけど、生活できないので夢を諦める」だとして、果たして爽やかな気分になれるでしょうか。
岡本さんが成功者だから、仮に「成功していなかったとしても爽やかだ」と言えるだけではないでしょうか。
ひねくれた考え方かもしれません。ですが、成功せずに極貧生活を送っている人でないと、「精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ」に説得力はありません。
それでも、岡本さんは夢を諦めさせてくれません。
なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。
- 食えることが保証された安全な道(行きたくない道)
- 食えないかもしれない危険な道(行きたい道)
の2つで、行きたい道を選べというのは簡単です。行きたい道なのに、食えないかもしれないから選べないのです。
例えば私は、社会人で仕事をしています。食えることが保証された安全な道です。趣味はこのブログ執筆ですが、これでは食えません。仕事を辞めて、ブログを書いて生活するのは、食えない危険な道です。毎月20万円の収入があればとは思いますが、仕事を続けています。
危険な道に惹かれるのは確かです。ですが、本や映画の感想文を書いて食っていくのは無理だと諦めています。
岡本さんは、自分の信念を曲げません。
私はこのブログで、
- 自分が良いと思ったものは良い
- 良くないと思ったものは良くない
と、発信し続ける勇気をもらいました。
良くないと思った作品でも、良い部分を無理に取り上げて感想を書いたことがありました。マイナスの部分ばかり取り上げていると、読んだ人が嫌だろうと思ったからです。
ですが、本当に言いたいことを隠す方が不遜だと気づきました。なので本音で書きます。