本を読む理由
なぜ、本を読むのか。
主体的に考える力を伸ばすこと。これこそが、読書の本来の目的である。
そうなのでしょうか。
確かに、考える力を伸ばしたいと思って手に取る本もあります。
ただ、それだけではありません。
本を読む喜びの一つは、他者と出会うことである。自分と異なる意見に耳を傾け、自分の考えをより柔軟にする。
これもあります。
小説については、
小説を読む理由は、単に教養のため、あるいは娯楽のためだけではない。人間が生きている間に経験できることは限られているし、極限的な状況を経験することは稀かもしれない。小説は、そうした私たちの人生に不意に侵入してくる一種の異物である。それをただ排除するに任せるか、磨き上げて、本物同様の一つの経験とするかは、読者の態度次第である。
小説に限ることではない気がします。
ビジネス書でも、エッセイでも、著者の経験を吸収し、自分の血肉にできるところはしたいと考えてます。
本物同様の経験にはならないにしても、読書を通じて、「私ならどうするか」を考えるきっかけになると思ってます。
本を読む理由は、
- 考える力を伸ばす
- 他者と出会う
- 経験値を上げる
以外にも、
- 本を読んでる自分が好き(自己肯定感が上がる)
- 話やブログのネタになる
があります。
では、本をどう読むかについて。
常に「なぜ?」という疑問を持ちながら読むこと。これは、深みのある読書体験をするための一番の方法である。
書かれてることを鵜呑みにしないのは、難しいです。
私は、著者の言うことならそうに違いないと、疑問を持たずに読んでしまいがちなので、注意が必要だと感じました。
著者を先生だと思い過ぎるのは、良くないのかもしれません。
とはいえ、小説家が「本の読み方」について書いたら、信用しないわけにはいきません。平野先生ですから。
小説の読みについて、
たとえば、登場人物が、会話の中で茶を一杯飲むというたったそれだけの、何でこんな描写が必要なんだというような箇所にも、実は緊張から来る口の渇き、間の必要といった意味が暗示されているかもしれない。とするならば、それに続いて発せられるのは、緊張を以て語られるべき重要な言葉である可能性がある。
間を開けてる場面は、読むスピードが速まってる気がします。
早く結論を言ってくれよって、先を急いでしまいます。
一般的に、こうした間の後には、重要な発言が控えていることが多い。作者としては、ここぞという発言を読者にサラッと読み流してはもらいたくない。そのために、一旦会話を切って、注意を促すわけである。
読み落としを防ぐには、タイトルにあるとおり、「スロー・リーディング」が必要でしょう。
「スロー・リーディング」をするには、読んだ冊数のカウントが邪魔です。
どうしても、冊数を多く読めた自分を褒めてしまします。
自分を褒めるには、読んだ冊数が簡単だからです。
月に10冊読めたのか、すごい、みたいな感じで。
いつの間にか、多くの本を読むのが良いことと、認識してた気がします。
その認識を壊さなければ、「スロー・リーディングの実践」は難しいでしょう。
読んだ本の数より、語れる本の深さが重要だと、頭ではわかってるのですが。
特に、小説を語る場合は、いかに深い読みができたかが大事な気がします。
小説の読み方に「正解」はない。「作者の意図を探る」ことは間違いなく有意義だが、必ずしもそれだけに拘束される必要はない。作者の意図を理解しようとするアプローチと、自分なりの解釈を試みようとするアプローチ、常にこの二本立てで本を読み、作品によっては、その比重を変える。これが恐らくは、最もスマートな戦術だ。
- 作者の意図
- 自分なりの解釈
を考えながら、本を読む。勉強になりました。