ノルマを捨てる
深い読みがしたい。
深い読みでなくとも、ちゃんと読めるようになりたい。
そう思って手に取りました。
著者の小池さんは言います。
時にはその一文、いや、その一単語に徹底的にこだわり、それを”深く”読むために、途方もない時間をかける。そうした時間が、思考を錬磨し、その人の思想を、あるいはその人そのものを形作ってゆく。
深読みにかけた時間が、
- 思考を錬磨
- 思想を形作る
- 読み手そのものを形作る
というわけです。
本書では、深読みの技法を学べました。
例えば、反実仮想(事実に反することを仮に想定する技法)について。
- 例文:世の中にまったく桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はのどかであっただろうに
- 真意:でも実際は、桜というものがあるせいで、悲しい思いをしないではいられないのだ
例文の「世の中にまったく桜というものがなかったら」は、事実に反しています。
なぜ、事実に反することを、わざわざ言うのでしょうか。
事実(=「桜というものがある」)によってどうなるかに、作者の真意が込められているから、と小池さんは言います。
反実仮想とは、
真意の部分をあえて言語化せずに余韻として表現することで、逆にそれを、読み手や聴き手に強く印象づける働きを持つ構文である
例文どおりに解釈してしまったら(桜がなかったら、春を過ごす人の心はのどかだったかもしれないなあ)、真意を読み取れず、深読みになりません。
続いて、「ように思います」について。
<表面上は、確かにそう見えなくもない>ということを言っていますよね。となると、それはあくまで、”うわべだけの肯定”であり、本当のところは、(中略)疑念を持っている可能性が高い。
「ように思います」の後に、「しかし」がある場合は、批判を加えていく展開を予告していると言います。
深読みの奥深さと難しさを思い知った一冊でした。
私の場合、「反実仮想の文章」も「ように思います」も、今まではさらっと読んでしまって、作者の真意に辿りつけてなかったと思います。
簡単な文章だと、読めた気になってしまうからです。
難しい言葉で書かれた文章であれば、読むのに時間がかかります。
ですが、簡単な言葉で書かれた文章なら、さらっと読んでしまいます。
「ように思います」が出てきても、そうか作者は同意してるのかと、解釈してしまうように。
すると、作者の真意をつかみ損ねてしまいます。
私が深読みできなかった原因は、効率的に読みたいと思う心にあったように感じます。
- 一冊でも多く読みたい
- 1ページでも先に読みたい
- 早くこの本を読み終えたい
そうした心が、表面的な読みにしかならず、深読みを妨げている気がしました。
読む冊数や読むページ数へのこだわりを捨てる。ノルマを捨てる。
私にとっての深読みは、ここから始まると思いました。
読み方のスタンスについては、記号論・テクスト論的な読みが参考になりました。
読者一人一人が、自分の読みにおいて人が気づかぬような要素に目をつけ、そこに新たな意味を見出していく営み
「人が気づかぬような要素に目をつけ」は難しいですが、私なりの解釈を発信できたらと思います。
何かしら他の要素に着目し、そう解釈することの必然性を立論できるのであれば、自分なりの読み取りを自由に実践してかまわないわけです。(中略)読者一人一人の多様で豊饒な解釈が生成されることになるわけですね。一つとして”絶対的正解としての読み”などありえない。
感想を書く人間にとって、励みになる言葉でした。