文豪の推敲の共通点
文章をどう読んでいくかの参考になりました。
文章を読んでいくときに、事実と意見と主張の部分を見分けながら読むことが大切だといわれます。けれどもそれだけでなく、根拠となる事実や理由づけと主張との関係を考えてみることもとても大切なことなのです。
まず、
- 事実
- 意見
- 主張
を見分けながら読みます。
加えて、主張については、
- 根拠となる事実
- 理由づけ
を考える、ということでしょう。
主張を読むときにチェックするのは、
- 証拠となる資料や事例は十分か
- 根拠のない主張や結論はないか
- 誤った理由づけはないか
などが挙げられてます。
私は文章を漠然と読んでいた気がします。
それを改め、
- 筆者の主張は何か
- 主張の根拠は何か
を意識して読んだ方が、本の要点が頭に入ると思いました。
本を解釈する上で、手がかりになるのは言葉だと著者は言います。
言葉に即して読んでいくことで、どのような解釈が誤りであり、またどのような解釈は可能なのかという範囲が決まってくるわけです。
解釈可能な「範囲」が決まってくるということは、解釈は1つではないということでしょう。
先日読んだ『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 (著)でも、
解釈が妥当であるかどうかを「正しさ」に求めるのではなくて、周辺の記述や他の部分記述との「整合性」だけに求めたい
とありました。整合性があれば、多様な解釈が認められるというわけです。
言葉を手がかりに批判的に読むと、妥当な範囲での多様な解釈と明らかに誤りの解釈は区別することができるわけです。
明らかに誤りの解釈さえしなければ、解釈は自由というわけです。
本の感想を書く私にとって、多様な解釈は救いです。
また、推敲について。
谷崎潤一郎と三島由紀夫が推敲で重視する共通点3つが、参考になりました。
- 接続詞をわざと省くことで余韻を与えふくらみをもたせる。接続詞はあまり使わない
- 目で見て美しい、読みやすい文字や文の配列をつくる
- 語呂がよく、読みやすく、調子がよく、耳で聞いていい感じの言葉や文を書く
接続詞があると、読みやすいです。
特に、逆接の接続詞(だが、しかし等)は、筆者の主張とリンクすることが多いので、役立ちます。
しかし、谷崎と三島は共通して、接続詞をわざと省くそうです。
接続詞を省くと読みにくいのでは、と思います。
それに、上記2や3で、谷崎と三島は、読みやすさも重視してることがわかります。
接続詞を省くと、どういう効果があるのか、整理してみます。
- 余韻を与えふくらみをもたせる(上記1より)
- 目で見て美しい文字列になる?(上記2より)
- 語呂が良く、耳で聞いていい感じの言葉になる?(上記3より)
余韻を与えふくらみをもたせる効果は、上記1に書いてます。
接続詞を省くことで、美しい文字列になるのでしょうか。
なる場合もあると思います。
接続詞には限りがあるので、接続詞を多用すると、またこの接続詞が出てきたと思う可能性があります。
接続詞を省いてしまえば、その問題は解決します。
同様に、接続詞を省くことで、語呂が良く、耳で聞いていい感じの言葉になることもあるでしょう。省いた分、テンポが良くなります。
接続詞を省いても読者に伝われば、省いてしまってよいと解釈しました。