部分が読めていない
文章を正しく読みたいです。
本書は、『14歳からの読解力教室:生きる力を身につける』犬塚美輪(著)で紹介されてました。
よりよく読もうとするさいに、私たち読み手にとって最大の障害になるのが、自分自身の「わかった」という状態です。
「わかった」状態なのに、実は「わかっていない」状態なわけです。
どういうこと?
と思いますが、本書を読んで思い知りました。
本書は、
- 小学校の国語教科書の文章
- センター試験で出題された文章
などを参考に、私が不十分な読みをしていたかを教えてくれました。
小学校の教科書に載っている文章なので、「わかった」状態になります。簡単じゃんとさえ思います。
しかし、西林さんの解説を読むと、自分がいかにわかっていなかったか、思い知らされます。
ぜんぜん読めてないじゃん!
どうしてわかったつもりになってしまったのでしょうか。
浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だからなのです。
小学校の国語の文章ですから、一読して「わかった」と思ってました。
「わかった」状態だと、「よりわかった」状態になる必要性を感じないというわけです。
「わかった」と思ったら、それ以上何かを追求しようとは思いません。
そういうことねと、「わかった」状態になります。
実は、「わかっていない」状態だとはわからずに。
「よりよくわかる」ための障害は、文章を「わからない」ことではなくて、文章を読んで「わかったつもり」になることなのです。
「わかったつもり」について、2つ紹介されています。
- 不十分な読み
- 間違った読み
いずれにしても、原因は、「部分が読めていない」からだと西林さんは言います。
明確な文脈が存在し、それにあわせる形で部分が漠然と読まれたり、不正確に読まれたり、読み飛ばされたりしているのです。
- 部分が漠然と読まれている
- 部分が不正確に読まれている
- 部分が読み飛ばされている
これらを解消しなければ、「よりよくわかる」ようにはならないのでしょう。
では、どうすれば部分を正しく読み、「よりよくわかる」ようになれるのでしょうか。
西林さんは、「敵は自分」だと言います。
自分は「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要です。
「わかった」と、早合点してはいけないのでしょう。
冒頭を読んで「ああ、あのことね」という先入観を持って読むのは、危険だと思いました。
本書では「わかったつもり」の壊し方が、紹介されています。
しかし、私はその壊し方を、具体的に消化できませんでした。
私が「わかったつもり」を壊すためにしようと思うことは、
- ゆっくり読む
- 先入観を持たずに読む
- わからないことはないかと自問する(本当にないか?)
- よりわかりたい本なら、2回読む
部分をしっかり読むことで、不十分な読みや間違った読みを防ぎます。
また、解釈についての西林さんの考えが参考になりました。
解釈が妥当であるかどうかを「正しさ」に求めるのではなくて、周辺の記述や他の部分記述との「整合性」だけに求めたい、というのが私の考えです。
整合性があれば、多様な解釈が認められるというのは、感想を書く上で、参考になる考え方でした。