国語力は愛
なぜ、大人のために国語が必要なのか。
そう思った人は、いるかもしれません。
私が本書を手に取ったのは、読解力や文章力をつけるためです。
読解力や文章力の向上は、社会人の私にも必要だと感じたからです。
本書には、差し込みの漫画があります。
漫画の登場人物は、「国語力は愛だと思ったよ」と言います。
伝える 読み取る 語り合う 分かり合う
そのために相手のことを考える
これすなわち愛じゃない!?
著者の野矢さんは、最初の章で「相手のことを考える」を強調しています。
相手のことを考え、分かってもらえるような言葉に言い換えたり説明を補ったりする力は、国語力である。それゆえ、相手のことを考えて分かってもらおうとすることが、国語力を鍛えることになる。
国語力が鍛えられると、どうなるか。
国語力が鍛えられることによって、相手のことを考えに入れて書いたり話したりできるようになる。国語力がないと、どう言い換えればよいのか、どう説明すればよいのか、分からない。
したがって、
- 相手のことを考える
- 分かりやすく説明する(国語力)
は、結びついていると、野矢さんは言います。
また、文章を書くときには、落とし穴があると言います。
文章を書くとき、自分では内容が分かっている。しかし、読む人はそうではない。ここに、文章を書くときの落とし穴がある。書き手にとっては歩きなれた道だろうが、読み手にとってははじめての道なのである。
書き手と読み手には、情報量の差があります。
書き手には既知の事実でも、読み手には把握していない場合もあるでしょう。
書き手と読み手のギャップをどう埋めるか。
はじめての道には道しるべが必要と、野矢さんは言います。
文章における道しるべ、それが、接続表現である。
接続表現が、3つのグループで紹介されています。
- 付加・選択・換言・例示(例:しかも・または・すなわち・例えば等)
- 対比・転換・補足(例:一方・しかし・なお等)
- 条件・譲歩条件・理由・帰結(例:○○なら・仮に○○しても・なぜなら・だから等)
国語の授業であった、接続詞に○や△をつけて問題を解く方法を思い出しました。
文章を読み書きするときには、接続表現が道しるべになる。勉強になります。
さらに、「問い」や「反論」についても、文章を書くときの勉強になりました。
「問い」や「反論」は、書き手が気にする必要はないように思います。
あくまで、読み手の「問い」や「反論」だからです。
しかし、書き手側が、読み手の抱くだろう「問い」や「反論」を想定して文章を書くことで、読み手に伝わりやすい文章になるわけです。
「問い」については、
- 情報の問い(もっと知りたい):関連する話題でさらに知りたいことはないか
- 意味の問い(もっと分かりたい):分からない言葉や曖昧な言葉はないか
- 論証の問い(きちんと納得したい):独断的なところや飛躍はないか
「反論」については、
「自分はこう考えるがそれに対してはどのような反論がありうるだろうか」と、さまざまな反論の可能性を考え、チェックする。そうすることによって、自分の考えがより説得力のあるものになっていく。
さて、「国語力は愛」と、冒頭で引用しました。
伝える 読み取る 語り合う 分かり合う
そのために相手のことを考える
対人関係において、そんなシーンは、少ないように思います。
例えば私は、会社の同僚のことをそこまで考えていません。
仮に意見が違ったら、自分の意見をぶつけはせず、相手の意見に流されます。その方が楽です。
家族や友人だったらどうだろうか。
同僚のときよりは考えるでしょうが、対立は避ける気がします。
では、読書は? このブログは?
私にとって、これらが国語力を活かせる場所だと考えています。
本を読み、自分の感想を伝える。
本を読むときは、著者の言いたいことを読み取ろうとします。
ブログを書くときは、自分の言いたいことを伝えようとします。
- どこかで読んでいただいている方
- 未来に読む自分
を考えて、書いています。
直接的なつながりはなくても、それは愛と言えるのでしょうか。