誰にも読まれないんだから
本書から学んだのは、
「誰にも読んでもらえないんだから、自分が面白いと思うことを書こう」です。
なぜなら、
よく文章指南の本には、「なにが書いてあるかが大切」という教えが書いてあるが、現実は違う。「だれが書いたか」のほうが、多くの人にとっては重要なのだ。
「だれが書いたか」の「だれ」に該当すれば(例えば有名人)、どんなことを書いても読んでもらえるでしょう。
ですが、「だれ」に該当しなければ(例えば私)、どんなことを書いても読んでもらえません。
誰にも読んでもらえないなら、
「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。
少なくとも読んだ自分がおもしろいと思えたらいいじゃん、という精神です。
さらに田中さんは、必ずしも書き手でいる必要はないと言います。
「わたしが言いたいことを書いている人がいない。じゃあ、自分が書くしかない」
読み手として読みたいものを書くというのは、ここが出発点なのだ。
私の言いたいことは、誰かが書いているでしょう。
では、なぜ私が書くかと言うと、
自分の思考の整理のためです。
書いたものをネットで公開していますから、できれば読んでいただきたいですが、読む必要があるとは思っていません。
役に立つものは、もっと他にあるからです。
私は、自分の考えを整理するために書いています。
自分のために書いた文章が、もし誰かの役に立つなら嬉しいし、アクセス数は書くモチベーションにもつながるので、ネットで公開しています。
読み手など想像して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる。
書くこと自体は楽しくありませんが、書いていると、頭の中が整理されている気がします。
さらに、自分の言いたいことを書き切ったとき、達成感を味わえます。
書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身であるというのがこの本の主旨だ。満足かどうか、楽しいかどうかは自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める。
「読みたいことを、書けばいい」のですが、書いた文章を評価するのは読んだ人、というわけです。
ですから、文章を書いて生計を立てるとなると、好きに書くだけではダメでしょう。
自分の読みたいこと以上に、読者が読みたいかが重要だからです。
自分の読みたい=読者の読みたい、につながるかどうか。
文章は、読まれて価値が生まれます。
文章を書いて生計を立てるより、食うための仕事は別にして、自分の読みたいことを書く方が幸せなのかもしれません。