いっちの1000字読書感想文

平成生まれの社会人。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『ゴドーを待ちながら』サミュエルベケット(著)の感想【しゃべり続ける二人】

しゃべり続ける二人

「ゴドーを待ちながら」何をするのか。

「~ながら」の後には、言葉が続くと思います。

例えば、

  • 電車を待ちながら、スマホを見る
  • 上司を待ちながら、部下と雑談する

のように。

「ゴドー」は、何なのか。

人間だとはわかります。

「ゴドー」を待っているのは、二人の人間です。

二人は、一本の木がある道で、ゴドーを待っています

ゴドーを待ちながら、何をするのか。

一人が、

ゆうべは何をしたんだい、わたしたちは?

と言うと、もう一人は、

ゆうべは、なんとなくしゃべったんだもう半世紀以上も前から、そいつが続いてる

50年以上、じゃべってるというのです。

ゴドーを待ちながら、しゃべり続ける。

もしかしたら、50年以上、ゴドーを待ってるのかもしれません。

二人の前に、男の子がやってきます。

ゴドーさんが、今晩は来られないけれど、あしたは必ず行くからって言うようにって

作品で描かれるのは、ゴドーを待つ二日間です。描かれてない50年間も同じような日々だと想像します。

二日目も、ゴドーは来ません。

男の子がやってきます。

今夜は来ないけど、明日には来るとのことです。

ゴドーを待つ一人は言います。

それより、あした首をつろう。(中略)ゴドーが来れば別だが

もう一人は、もし来たら? と聞きます。すると、

わたしたちは救われる

と答えます。

  • 明日ゴドーが来るらしい
  • ゴドーが来なければ首を吊る
  • ゴドーが来たら救われる

ゴドーとはなんなのか。

なぜ、ゴドーが来なければ自殺し、ゴドーが来たら救われるのでしょうか。

巻末の高橋康也さんの解説では、

「ゴドー」を「ゴッド」のもじりと解して、神の死のあとの時代に神もどきを待ち続ける現代人、その寓意的肖像画の画題がここにある――この解釈が抗しがたい誘惑力をもつことは事実だが、同時に、口にするのも気恥しいほどの陳腐なのも確かだろう。

作者のベケットは、ゴドーは誰かと聞かれて、

知っていたら作品の中に書いたでしょう

と答えたそうです。

作者の言葉をそのまま受け取れば、作品の中にゴドーが誰かは書かれていないので、作者もゴドーが誰なのかは、わからない(特定できない)と、考えられます。

ゴドーが誰か決められてないなら、決めるのは読者の自由です(そうでなくても解釈は読者の自由だと思いますが)。

私は、ゴドーについて、他者による死(寿命、病気、殺人)を感じました。

  • ゴドーが来なければ自ら死ぬ
  • ゴドーが来たら死ぬ

それまで、しゃべり続けるだけ。

生産性のない人生のような気もしますが、人の一生はそんなもんかなとも思います。

ゴドーを待つ道を離れ、別に場所に行った人間には、他の影響が生じています。

  • 何者かにぶたれている
  • 目が見えなくなっている
  • 口がきけなくなっている

これはどういうことなのか。

  • ゴドーを待ち続け、同じ場所にいた人間には何も起こらない
  • 道を離れた人間には、何かしら負の影響が生じている

じっと機を待てということなのでしょうか。

動くにはリスクが生じることを示してるのでしょうか。

わかりません。

ゴドーを待つ人間が二人で良かったと思います。

二人でいるから、しゃべり続けることができます。

一人でいたら、もっと早く首を吊っていたかもしれません。