仕事のある大人が東大を目指す理由
著者の佐々木さんは、44歳で東大を目指しました。
いい大人なのに。声優の仕事もあるのに。
なぜ、今さら東大に行く必要があるのかと、私なんかは思ってしまいます。
時間や労力がかかりますし、合格できる保証はありません。
仕事のある声優さんが東大に入ったところで、何が変わるわけでもないでしょう。
ひねくれた考えかもしれません。
でも、知りたかったのです。仕事のある大人が東大を目指す理由。
佐々木さんは言います。
私は受験してみたかったのです。そして大学で勉強してみたかったのです。
仕事やほかのなにかに直接役立てたいとか役に立つといいなとか、そういった動機で大学に行こうとしたわけではなく、そこに行きたいから行こうとして、そして行ったのです。
すごすぎます。私には考えられません。
大学受験をした人なら、東大がいかにレベルが高いか、わかると思います。
私にとって、東大は雲の上の存在です。
高校時代、東大受験なんか考えたこともなかったです。
勉強したいから東大受けようとは、普通ならないです。
もし、「目的」が実益や報酬のような結果を得ることを意味しているのならば、そのような結果を求めて勉強しているのではないので、私は自分の勉強の「目的」がわかりません。もしかしたら、勉強すること自体が目的なのかもしれません。
勉強すること自体が目的。そんなこと言いたいです。
「それを勉強してなんの役に立つの?」と訊かれることもありますが、「役に立つ」から勉強しているわけではないので、答えにくいなあと思います。「役に立つ・役に立たない」という視点は、自分にとっては「勉強する・しない」の基準になっていないのです。
佐々木さんの考え方に触れて、自分が愚かさが浮き彫りになりました。
例えば、私が本を読む理由は、何かに役立つと思うからです。
本書を手に取った理由が、仕事のある大人が東大を目指す理由を知りたかったように。
何にも役立たないだろうと思う本は、最初から手に取ろうとしません。
本一冊読むのにも、時間と労力がかかるからです。
そうすると私は、本当は本を読みたいわけではないのかもしれません。
本を読むことが好きというより、
- 本を読むことで何かしらに役立つと考えている
- ブログのネタになる
- 本を読んでいる自分が好き
このあたりが、本を読む理由だと思います。
本一冊読むにも、私には「役に立つ・役に立たない」という視点があります。
純粋に、本好きとは言えないなあと思ってしまいました。
ブログを書くのも、「役に立つ・役に立たない」という視点があります。
- アウトプットにより、インプットが強化されると思える
- 自分がブログを見返したときに役立つ
- 書いたことが、誰かの役に立つかもしれない
純粋に、書くのが好きとも言えないなあと思いました。
では、私が純粋にやりたいと思えることってあるのかなと考えました。
佐々木さんで言うところの「東大での勉強」にあたるものは、私にもあるのだろうか。
それ自体が目的と言えるものは、私にもあるのだろうか。
思い浮かんだのは、エンタメ作品です。
没頭できる、アニメ、漫画、小説、映画、YouTube。
役に立つ・立たないではなく、面白いから、読んだり観たりするもの。
ただ、面白いだけで何も残らないと、時間の無駄だったと思ってしまいます。
少なくともその時間は楽しかったはずなのに。
「東大での勉強」にあたるようなものが、私も欲しいと思いました。