やりたくないことでも結果を出す
やりたくないことで結果を出す。
簡単なことではありません。
例えば、大学受験。
勉強したいと思う高校生は、どれくらいいるのでしょうか。
私は高校生のとき、勉強はやりたくありませんでした。
「ドラゴン桜」は知ってましたが、東大受験なんて、考えたことすらありませんでした。
おこがましくて仕方ない。
そんな私が「東大メンタル」を学んで何になるのだろう。
東大を目指す理由として、東大OBの方の考えがしっくりきました。
努力がきついのは終わりが見えないからです。人生が仮に80年だとして、残り60年くらいあるうちに、たった1年頑張れば、残りの59年、東大生であることのベネフィットを享受できる。それなら今頑張ろうと思えます。この1年がつらいわけじゃなくて、その先が楽しくなるから頑張る。
- 努力をした先に希望がありそうなら、努力できる
- 努力をした先に希望がなさそうなとき、努力できない
大学受験は私にとって、10年以上も前の話です。
なので今やりたくないことについて、考えてみます。
例えば、つまらない仕事。
つまらない仕事を努力した先に、何があるのでしょうか。
- 経済的自由
- 少なくとも人の役に立ったという実感
- 勤め上げたという自己満足
- 無職ではないという世間体
1億円あったら、つまらない仕事は辞めるでしょう。
仕事を辞めたら、
- 3(勤め上げたという自己満足)
- 4(無職ではないという世間体)
を捨てることになります。
それでも構いません。
経済的自由があれば、3と4は、大して重要ではありません。
1>3、4です。
では、2(少なくとも人の役に立ったという実感)はどうでしょうか。
人の役に立っても、経済的自由を得られないものをやれるか。
例えば、ボランティア活動。
経済的自由を達成していたらありかもしれませんが、達成してないならなしです。
つまり、1>2です。
上記1から4は、達成したい優先順位です。
- まずは経済的自由を得たい
- そのためには、つまらない仕事でもやらなければいけない
- つまらない仕事は早く終わらせたい
- 早く終わらせるために努力する
- 努力すれば結果が出る
つまらない仕事でも、経済的自由を得るためには、やりたいのかもしれません。
やりたくないわけではないのかもしれません。
本当にやりたくないなら、辞めてると思います。
東大受験というのは「いかに心折れずに戦い抜けるか」の勝負だということです。もともとの学力があるかどうかではなく、ただ単に、東大を第一志望にするということを続けられるか。そこで挫折して、そもそもスタート地点に立つことなく不合格になっている人が非常に多くいるわけです。
私の場合、経済的自由を達成のために「いかに心折れずに戦い抜けるか」です。
- つまらない労働
- 節約
- 投資
続けてれば、いつか結果を出せると思ってます。
定年まで働けばいいやと諦めるのではなく。