いっちの1000字読書感想文

平成生まれの30代。小説やビジネス書中心に感想を書いてます。

『それは誠』乗代雄介(著)の感想②【溺れてる人がいたらどうするか】(芥川賞候補)

溺れてる人がいたらどうするか

感想①はこちらです。

比喩的に、主人公は溺れています。

修学旅行の自由行動の1日で、叔父に会いに行くわけですから。

班を離れ、単独行動を希望する主人公。

毎日薬の服用が必要で、吃音持ちの「松」は、主人公への同行を希望します。

主人公と松は、仲の良い間柄には見えませんでした。

どうして、松は、主人公に同行したいと思ったのでしょうか。

松の母親が主人公(佐田)に言います。

佐田くんが一番やさしいってほら、あの子の直感ってすごく鋭いじゃない?

主人公のどのあたりが、松にやさしいのかというと、

僕はただちょっとばかし吃音に慣れてたり、愛着があったりしたってだけなんだ

と、主人公は少なからず、やさしさの自覚はあるようです。

修学旅行の自由行動での行き先の希望に、松は、

みんなの行きたいところ

と書いていました。

この時点では、みんなの中に主人公がいます。

しかし、主人公(佐田)が「日野」を希望し、その理由を班員に説明しないでいると、松は、

佐田くんの行きたいところ

に希望を変えました。

みんなではなく、主人公(佐田)の希望に寄ったのです。

どうしてかを考えると、主人公が溺れているように、松には見えていたのかもしれません。

松がいなければ、主人公に同行する者は現れず、主人公は一人で日野に行ったでしょう。

そして、自由時間終了の時刻に合わせて、待ち合わせ場所に戻ってきたと思います。

そうすると、主人公は叔父さんに会うことができていません。

松と主人公の2人だけでも、叔父さんに会うことはできなかったでしょう。

「蔵並」の

いや、もっと待てる

からの計画がなければ、無理でした。

計画を実現するにも、交渉する「大日向」の存在が不可欠でした。

「松」が言い出して、「蔵並」が柔軟に計画して、「大日向」が間を取り持ったから、主人公は、叔父さんと会い、無事に帰ってくることができました。

誰が欠けても、実現できませんでした。みんながいたから、実現できたことです。

蔵並は言います。

お前らだけが一緒に溺れたら、お前らだけが日野に来て何にもならなかったら、俺にはわからないままだでも、溺れてる奴と一緒に溺れようとしている奴、まとめて助けようとする人間がいたら、わかるかもしれない

  • 溺れてる奴:主人公
  • 一緒に溺れようとしている奴:松
  • まとめて助けようとする人間:蔵並

とすると、大日向は、まとめて助けようとする人間を助ける人間でしょう。

主人公一人だけでは溺れるだけでした。

松が一緒に溺れようとしたから、蔵並はまとめて助けようとし、大日向もそこに乗っかったわけです。

大日向は言います。

だって面白そうだろ、こっちの方が

私は溺れたくないし、溺れてる人がいても一緒に溺れようとはしない、傍観者でしょう。助ける力もありません。

ただ、一緒に溺れようとする人も、助けようとする人も、良いなと思いました。

それは誠

それは誠

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