工事現場の人のプライド
主人公は、工事現場の溶接工です。
約20年働いてきて、自分の仕事に自信を持っています。
自他ともに認める、技術の持ち主です。
しかし、主人公の溶接が、検査で引っかかり、溶接をやり直すことになります。
なぜ欠陥が出たのか、自分でもわからない。何ら特別なことはなく、至極いつも通りにやった。それが何より恐ろしかった。
やり直しの作業中、主人公は、タブーを犯しました。
安全ベルトを外したまま、作業をしていたのです。
工事現場にあって、安全第一・無事故無災害は聖域である。(中略)しかし、それより溶接のほうが大事だ。
安全ベルトを外して作業していたことが、元請の担当者にばれてしまいます。
元請の担当者は、
今回だけ特別に
と、会社には報告せずに済ませてくれそうでした。
ですが、元請の担当者の、
安全を疎かにする溶接工は下手だと相場は決まってんだよ
の言葉に、主人公が引っかかり、喧嘩になってしまいます。
その結果、安全ベルトを外して作業していたことが、会社に報告されます。
主人公は会社から、1年間の溶接仕事の謹慎を受けます。
溶接以外の仕事を任された主人公は、内心、この仕事は自分じゃなくてもできるのにと思います。
とはいえ、会社からの業務命令には従うしかありません。
主人公には、仕事の序列が決まっているようです。
例えば、溶接の品質を検査した人間に対して、
口先でギャアギャア騒いで結局いい「品質」も悪い「品質」も世に生み出せないお前は、死ぬまでギャアギャアそうしていればいい。
また、配管工に対しては、
配管工の癖に生意気いうなと。お前と自分では仕事の格が違う。お前の仕事は誰にでもできるが自分の仕事は違う。
一方で、
こういう仕事をしていると、いつも下に見られるんだ。工事現場にいる人は、皆「工事現場の人」だ。そうじゃないのに。俺はその辺の「工事現場の人」じゃないのに。誰もそのことを知らない。
「誰もそのことを知らない」とありますが、会社の同僚は知っています。
主人公が、その辺の「工事現場の人」ではなく、熟練した溶接工であることを。
主人公が、会社になくてはならない存在であることを、わかってます。
主人公は自分自身に言いかけます。
お前は傲慢なんだよ。自分をすごいと思うのは人の自由だが、どんな作業も馬鹿にしてはならない。そうだろ。お前は自分の仕事を馬鹿にされるのを嫌う。お前自身が、誰より馬鹿にしているというのに。
本作を読むと、主人公の態度が反面教師に見えてきます。
ある程度仕事ができるようになってきたからといって、自分の仕事を疎かにしたり、慢心したり、他の仕事を馬鹿にしたりするもんじゃないと、自戒します。
タイトルの「我が手の太陽」とは、溶接工の主人公にしか、感じられないものです。
自分のような仕事に従事できない者は皆無知だ。そういう人間は鉄鋼の溶け出す瞬間を知らない。自分の手が他のどこより熱い時のことを知らない。アークの最高温度は二万度にも達する。それは、太陽の温度だ。
太陽の温度を知るのは、溶接工の主人公だけです。
自分の知る高温の強さを思い出せば、怖いものなどなかった。
溶接工だから知り得た、太陽の温度。主人公のプライドです。
主人公にとっての「太陽の温度」と同じようなものは、社長にも、工事長にも、品質管理責任者にもあるでしょう。
その人しか知り得ないこと、体験できないことは、誰にでもあるはずです。
想像力が働かなかった主人公は、このままだとずるずる落ちていってしまうでしょう。
面白く読みましたが、石田さんのユーモアある文章がなかったのは、残念です。
感想②はこちらです。