まじめに働いていても愚民
感想①はこちらです。
主人公は、売れない作家です。
二年ほどかけて六作の長編小説を書いたが、どれも出版部数がふるわず、講談社から出版することができなくなった。
講談社という出版社名まで出ています。
講談社は、著者がデビューした出版社です。
本書は角川書店から出版されています。
佐藤さんの私小説に近い作品として読みました。
東京へ行く。
復讐小説を書く。
終わった夢を取り戻す。
主人公は、北海道でのアルバイト生活から脱出し、東京で一人暮らしを始めます。
「終わった夢」とあるとおり、主人公は小説家になる夢を叶えました。
しかし、叶えた夢は長続きしませんでした。
小説の依頼がなくなったことで、小説家は終わった夢になりました。
主人公は、淡々と働いている作業員たちを見て、
絶対にお前たちのようにはならないぞと、僕は口の中でつぶやいた。お前たちは愚民なのだ、まじめに働いていても愚民なのだ、僕がそう決めたのだ、僕はこれから東京に行くんだぞ、お前たちのようにならないために東京に行くんだぞ、うらやましいだろう?
うらやましいと思いました。
私は社会人としてまじめに働いているつもりでしたが、愚民でした。
作業員はなくてはいけない仕事ですし、誰かがやらなければいけない仕事です。
それでも主人公の言うとおり、愚民だと思いました。
誰かがやらねばいけない仕事を、どうして自分がやらねばいけないのか。
生活のため、お金のためでしょう。
それは愚民の考えだと思いました。私は愚民です。
東京へ行った主人公は、終わった夢を取り戻せたのでしょうか。
東京にやられた。
人生にやられた。
すべて終わった。
主人公は小説を書けないどころか、金がなくなり、酒浸りになります。
東京に行っただけで、夢を取り戻すのは無謀でした。
やりたいことをやって失敗するのは勝者だ。
本当の敗者は、やりたいことすらわからないまま死に行く。
主人公は勝者なのでしょうか。
- 若くして小説家になる夢を叶えた
- 出した本が売れず、出版社から小説の依頼がなくなる
- 東京で奮起するも、小説を書けない
果たして勝者でしょうか。
このままだと敗者でしょう。
一方、「やりたいことすらわからないまま死に行く」人は敗者なのでしょうか。
死ぬ直前、「あれもやりたかった、これもやりたかった」と後悔ばかり出てくるのであれば、敗者でしょう。
ですが、後悔すらなく、何もわからないまま死ぬのであれば、敗者とは言えません。むしろ勝者です。
作家になったばかりに。
どうして夢が叶ってしまったんだ?
どうして夢を叶えてしまったんだ?
夢。
それは味方か?
それとも敵?
夢なんかなければ。例えば、作業員の仕事を淡々としていれば。
夢を感じさせず、淡々と働く同僚を見ると、すごいと思ってしまいます。
あらゆることを乗り越えて今に至ったのかと、想像してしまいます。
そんな同僚も、かつては夢を持っていたのでしょうか。
どこかで夢を諦めたのでしょうか。
私は夢を持っているのでしょうか。
夢なんか持たず、まじめに働いていれば、生活はできます。
淡々と働くことは、すごいことのはずなのに、なぜか尊敬できません。
主人公の言う「まじめに働いていても愚民なのだ」が響きます。