故郷へ帰る意味
『開墾地』というタイトル。一見とっつきにくいです。
辞書には、「山林や原野を切り開いた土地」とあります。
「開墾地」が意味するのは、
- アメリカ(サウスカロライナ州)から上京した主人公
- イランからサウスカロライナに渡った主人公の父
- 日本からアメリカに渡り、生え続ける葛
- 家の前の葛を焼き払う父
など、多岐に渡ります。
主人公の母が家を出て行ったとき、父は主人公に言います。
俺ときみの関係は、一切変わっていない
主人公と父は、養子縁組の関係です。
母の実子が主人公で、父は母の再婚者です。
気になったのは、父が、息子である主人公のことを「きみ」と呼んでいることです。
主人公がペルシャ語を学びたいと言ったときも、
どこへ行っても、言いたいことを言えない苦しさはない。だから、ペルシャ語なんか学ぶ必要はない。きみは自由だから。
一方、父の従兄弟は、主人公のことを名前で呼んでいます。
「きみ」という言葉には、心理的な距離を感じます。
実生活で誰かを「きみ」と呼ぶことはありません。
歌詞や小説のタイトルでは散見されますが、不特定多数に向けた歌や、個人名を使いにくい小説のタイトルは、例外でしょう。
父が主人公を嫌っているかというと、そんなことはありません。
主人公も父を慕っています。
父は、イランからアメリカに来ました。
主人公は、アメリカから日本に行きました。
場所は違いますが、新天地に一人で飛び出しているのは共通しています。
主人公は、留学先の日本から、10年ぶりにアメリカに帰省します。
故郷へ帰ること。その言葉の意味を考えれば考えるほど、分からなくなる。
なぜ、主人公が日本からアメリカに帰省したのか、わかりません。
一週間だけの帰省とはいえ、費用もかかれば時差ボケもします。
10年ぶりの帰省なので、理由がないとは思えません。
考えられるのは、父親に日本で生きていくことを、宣言するためです。
英語に戻ることも、日本語に入り切ることもなく、その間に辛うじてできていた隙間に、どうにか残りたかった。
日本語に入り切ることもないけれど、日本で生きていく、ということでしょう。
生まれ故郷を去った人には、似た感覚があると思います。
上京した私の境遇にも、通じるものがありました。
約10年間、私は東京で勤務してきましたが、実家で暮らすことはないでしょう。
一方、東京に入り切ることもできません。
10年住んでいる土地でも、故郷だと思える日が来るとは、想像できません。
故郷は変わらず、実家の町です。
仕事を辞めたとしても、実家で暮らすことはおそらくないでしょう。
主人公の父には、イランを去ってアメリカで暮らしていく意地が見えました。
主人公には、日本に固執する意地は見えません。
時代が違えば、主人公は中国に留学していたかもしれません。
主人公の父には、家を覆ってくる葛を焼き払う強さがあります。
力強さであり、根気強さでもあります。
主人公には、力強さを感じません。しなやかさや、柔軟性を感じます。
アメリカ人というより、日本人の感覚に近いです。
主人公は、覆ってくる日本人(例えば担当教授)をはねつけません。
素朴でいい小説でした。