ないはずのものがある
感想①はこちらです。
主人公の父は、独立して広告代理店を営んでいます。
メインの仕事は、地元のスーパーマーケットの折り込みチラシの作成です。
父の経営は、そのスーパーに依存しています。
スーパーマーケットから契約を打ち切られると、経営はまずい状況になります。
父は取引先の社長に、贈り物をしようと考えています。
父が社長に贈るのは、オーディオのアンプです。
プレゼントするのではかえって気を煩わせる。そもそもカネならあり余っている相手だ。
と、プレゼントすることには、気が引けてます。
半額で、一応は買ってもらうことにしよう。(中略)「安く手に入る」というのは半分嘘だ。そういうことにするのである。
父は、短期のマイナスより、長期のプラスを取ることを考えます。
アンプの半額を父が払うことで、スーパーマーケットとの契約を継続させる意図でしょう。
アンプの整備は、父一人ではできませんでした。
父の友人に一部整備を依頼するのですが、友人にアンプを持ち去られました。
持ち去られたアンプを、父は取り返すことができません。
どうするの? 泥棒する?
と主人公は聞きますが、
できないだろ
と父は否定します。
主人公と父は、社長のいるビルの一室に行きます。
そこに、アンプがありました。
父が整備し、友人に持ち去られた、アンプです。
どうして、社長の手に渡っているのか。
父が整備していたものに、間違いありません。
ですが、どういう経緯で、社長の手に渡ったのかはわかりません。
この部屋もこのビルも、現象なのだろうか?
ないのに、ある。
ないはずのものがあることで、これは現象なのかと、主人公は思います。
しかし、父の友人から渡ったことには、違いないでしょう。
宇宙のすべてが、ないのに、ある。宇宙もまた、あるとき、誰かによって持ち去られてしまったのかもしれない。宇宙もまた、持ち去られたままなのかもしれない。にもかかわらず、宇宙がある。
ないはずのアンプから、宇宙の話にスケールが広がり、物語が終わっていきますが、この煙の巻き方は良くないと思いました。
超常現象なわけがありません。
主人公の父は、社長に「このアンプ、どうしたんですか」と聞いているはずですし、社長がアンプを手に入れた経緯は、書かれるべきだと思いました。
物語の冒頭で、手品師の「ハンドパワー」を、静電気と説明したように。
ハンドパワーは超能力でも何でもない自然現象なのだ。科学的にごく普通のことである。
ハンドパワーは静電気だと説明したのに、ないはずのアンプの存在を「現象なのだろうか」で片づけてしまうのは、良くないと思いました。
- 社長がアンプを手に入れた経緯
- 社長にアンプを手渡した友人と、父の対話
これが書かれないと、もやもやした感じが残ってしまい、読み手として消化不良でした。