現実と思考の行き来
主人公のタツコは、アパートで一人暮らししている高齢の女性です。
夫に先立たれましたが、姪やその子どもがよく遊びに来ています。
彼女たちから、タツコはタッコという愛称で呼ばれています。
たわいもない会話が弾み、笑い声が絶えません。
そんなひと時を過ごしながら、タツコは思索にふけります。
なにをたべるって? と姪のカヨコから言われたことのはじめの方を聞きそびれてタツコは訊き返す。(p.146)
タツコは会話を聞きながら、現実と思考を行き来します。
以下に興味がある人におすすめです。
- 高齢の未亡人
- 仲の良い親族関係
- 方言
- 思考の流れ
- 地の文に溶け込む会話
一言あらすじ
夫に先立たれアパートで一人暮らしをする高齢の女性が、姪やその子どもに囲まれながら、現実と思考を行き来する。
主要人物
- タツコ:夫に先立たれ、アパートで一人暮らしをする高齢の女性。目が見えにくくなっている
- ミホ:タツコの姪。タツコに代わって家事を行う
- ヒロシ:ミホの息子。目が見えない
思考しすぎは人を不安や恐怖にさせる
買い物中のタツコの頭に、動物園から脱走したヒョウの存在があります。
タツコの思考の中で、姪のミホはタツコの家に押しかけます。
ねえ、ヒョウにいうたろ、ヒロシばかわりにたべろっていったろ?(p.170)
ヒロシは目の見えないミホの息子です。
ミホの言い分によると、タツコが、自分よりも目が見えないヒロシを不要だとし、ヒョウにヒロシを差し出したというのです。
タツコは、ミホがヒョウではないかとさえ考え出します。
現実は、タツコがスーパーで買い物をしているだけです。
思考が強くなりすぎた結果、タツコに不安や恐怖を抱かせます。
思考を紛らわせる人とのつながり
どこやったら、不自由せんでおったのやろうか? この問いかけは、しかし答える暇もなく、相変わらず部屋で交わされる声に紛れこんでしまう。(p.162)
一人暮らしをしていると、当たり前ですが一人の時間は長くなります。
一人で家にいると、ついつい考え込んでしまいます。
- このまま生きてていいのかな
- 自分の選択は間違ったんじゃないかな
答えの出ない問いを悶々と悩んだりもします。
絶望的な気分に追いやられたりもします。
ですが、人がいたらどうでしょう?
思考が遮られます。すると、嫌なことを考えずに済みます。
机の上に置かれた電話が鳴り、ほら、黙っている暇はないぞ、話さなければとでも言うように、その音は彼女を急かす。(p.173)
会話が、タツコの行き過ぎた思考を遮ります。
思考を遮った会話は、救いとも言えます。
人とのつながりの大切さを実感できる作品です。
雑誌の掲載はこちらです。
調べた言葉
イリコ:内臓を除いたナマコをゆでて干したもの
リウマチ:骨・関節・筋肉などの疼痛とこわばりを主な症状とする病気の総称
波止場:港で、陸から海に細長く突き出した構築物を設けた所
想念:心の中に浮かぶ考え
言質:あとで証拠となる約束の言葉
高齢の未亡人の思考の流れという点で、若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』を思い出しました。こちらも方言が多用されています。
第161回の芥川賞候補作についてはこちらです。