善人とは誰か
文章だけで笑わせてくれる小説は、石田さんの作品以外、ぱっと思いつきません。
稀有な作家さんです。
本作の掲載は、すばる1月号。
まだ、芥川賞候補にも単行本にもなっていない作品を、読みました。
雑誌の表紙に「石田夏穂」の文字が見えて、これはもう、読もうと思いました。
タイトルではなく、作家名に惹かれて手に取りました。
主人公は、三國造船(通称サンゾウ)という会社で働いてる女性です。
同僚は男ばかりです。
同僚たちは、女性の主人公を、小間使いします。
- 他社からの菓子折りを同僚に配らせ
- ワードやエクセルのPDF化させ
- 会社の労働組合への出席させ
などなど、面倒なことは、主人公に全振りします。
これは主人公だからというわけではなく、会社の体制がそうです。
主人公以外の女性社員も、同じような目に合ってます。
女性社員は、主人公のいる組合室に相談に来ます。
他の「メンズ総合職」とは明らかに対応が違う。
「最初は若手の仕事だと思って我慢してたんですけど……」
女性社員は、肉体的精神的に参ってしまったようです。
主人公はアドバイスします。
あなたももっとサンゾウをよく見た方がいい。
サンゾウは会社名ですが、主人公は男性社員一般を、サンゾウと呼んでます。
ものを知っていると、そうじゃないより私たちは強い。(中略)弱いやつは、自分のことなど知らないでいい。それより周囲の安全確認のほうが大事だ。自分の天敵を熟知するほうが、遥かに大事だ。
主人公はサンゾウを観察し、サンゾウにあだ名をつけます。
- 朝早く出勤し、モーニングルーティンを行うサンゾウ:通称アサゾウ
- バウムクーヘンでむせて死にそうになるサンゾウ:通称ムセゾウ
- フーと長い息を吐くサンゾウ:通称フーゾウ
一方、主人公が何の仕事をやってるか、わかりません。
朝早く来て、夜遅く帰ってるようですが、具体的に何の仕事の担当かは、わかりませんでした。
同僚たちに言われたことを、その都度やってる感じなのかもしれません。
それがタイトル「世紀の善人」の意味なのでしょうか。
「世紀の善人」とは。
主人公は、組合室に相談に来た女性社員のことを「いい人」だと言います。
何というか、すごくいい人だ
いい人だと言われた女性社員は、意味がわかってません。
私もわかりません。
あなたは知らないだろうけど、あなたはすごくいい人だと思う
「いい人」が多用されます。
女性社員は、専務の薬を自分の薬と入れ替えていました。
- 専務:心臓の病気の薬
- 女性社員:精神安定剤
自分の健康と引き換えに、専務を殺しにかかっているのだ。
それがいい人なのか?
女性社員が、精神安定剤を飲まないリスクを負ってまで、専務の薬を入れ替えることが、善人なのでしょうか。
主人公は、
サンゾウに手を加えようと思ったことがない。自分はただ見ているだけだ。
主人公は見ているだけでした。
同僚を憎いと思っても、仕返ししてきませんでした。
しかし、女性社員は違います。
自分の健康を害してでも、専務の健康にも影響を与えようとしています。
主人公は、「いい人」としか表現できないと言いますが、私には「いい人」の意味がわかりませんでした。
「いい人」は、善人と言い換えられます。
では、「世紀」とは。
サンゾウという会社の歴史で、仕返しをする女性社員のような人がいなかったのかもしれません。
サンゾウ社員の賞与は従来の四か月から十二か月になり
と、高いボーナスを出す会社です。
高いボーナスが出る会社であれば、会社の歴史も長いのかもしれません。
サンゾウは、男尊女卑、パワハラ、セクハラなど、今の時代にそぐわない旧態依然とした会社です。
そこに現れた、一筋の光である女性職員。
彼女は自らの健康を害しても、専務の症状を悪化させようとします。
彼女こそが、長い会社の歴史で現れた善人だったかもしれません。
気になったのは、彼女の精神安定剤が、
「ン」で終わるカタカナ十文字
と表現されてます。薬名を隠す必要があったのか、そこだけ疑問でした。